第三十五夜 ゴールズワージーの『林檎の樹』

 書棚で目が合ってしまったのがゴールズワージーの『林檎の樹』である。読書三昧に過ごした青山学院高等部時代に読んで以来60年は経っていて、今回で2度目だ。 
 『林檎の樹』の語り部でもあるアシャーストは、本著の主役。
 結婚25年目の銀婚式の日にアシャーストと妻のステラが訪れたのが、イギリスの高原地帯であった。『林檎の樹』は、25年前この高原地帯へ夏を過ごしにやってきたとき当時大学生だったアシャーストと17歳の美しい少女ミーガンの恋を、25年後の銀婚式の日にアシャーストが妻のステラと思い出しているというストーリーだ。
 アシャーストは夏が終わればこの地を去って大学のあるロンドンへと戻ってゆく。大学生のアシャーストにとってミーガンは美しいけれどただの田舎娘であった。この地から連れ出して未来を共にしようという考えはなかった。アシャーストが去って間もなく、ミーガンは林檎の樹の側で狂い死にをしてしまう。ミーガンには、アシャーストが去ればこの恋も終わりになることを敏感に感じとっていた。

■『秀句350選4 愛』蝸牛社刊より

  愛はなお青くて痛くて桐の花  坪内稔典
 (あいはなお あおくていたくて きりのはな) つぼうち・ねんてん

 稔典さんが思うに愛というものは、色で表すならば「青」であるという。さらに愛とは「痛さ」を纏っているものだという。相手のちょっとした言葉の一つにも動作の一つにも胸が苦しくなるような棘の痛さを感じることもあるだろう、それが愛であるという。
 季語を「桐の花」とした作者。桐の木は、釣鐘型でうすむらさき色のやや大きめの上品な花を、枝先に咲かせる木である。

 本日の導入部分に書いたゴールズワージーの『林檎の樹』のミーガンの恋も、まさに〈愛はなお青くて痛くて〉ではなかったろうか・・。

 稔典さんの俳句は見たままを詠むというのではない。最初に知った作品は〈三月の甘納豆のうふふふふ〉であった。稔典さんの作品は〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉〈せりなずなごぎょうはこべら母縮む〉などのように意味がつながっていないのだ。
 だが作品からは不思議な「あたたかさ」が伝わってくる。
 稔典俳句を『秀句350選4 愛』の一句として、入集してくださった編者の山本洋子さんの愛の句の選句の広さを素敵だと思う。
 
  彼の女今日も来て泣く堂の秋  河野静雲
 (かのおんな きょうもきてなく どうのあき) こうの・せいうん
 
 河野静雲は、明治20年に福岡市博多区中呉服町の生まれ。6歳のとき片土居町の時宗称名寺住職河野智眼の養子となり、大正9年より時宗総本山住職に就任。大正12年には福岡市馬出の称名寺に寄寓。昭和24年に太宰府町観世音寺月山に花鳥山佛心寺を創建する。
 俳句は高浜虚子に師事。ホトトギスの俳人。後に俳誌「木犀」を継承。

 掲句は住職としての作品。寺を訪れる男も女もみな悩みを打ち明ける。今日も御堂に来て泣いている女がいる。どのような悩みがあり何を哀しんでいるのであろうか、おそらく好きな男のことであろうが見守るしかできない。そのたおやかな姿は住職静雲から見ると気になる女である。

 高浜虚子の最晩年の弟子であった深見けん二先生の結社「花鳥来」で俳句に励むようになったとき、吟行で外気に触れて客観写生を言葉にする訓練は元より、私自身の文学的素養も深めて磨かねばならないことを感じた。