第四十六夜 蟇(ヒキガエル)の句

 第四十五夜は「蚯蚓」で、今宵は「蟇」の句を鑑賞してみよう。ミミズもヒキガエルも住んでいる所って「茨城県のどこ?」と言われてしまいそうだが、地図で見ると、守谷市は、茨城県と千葉県と埼玉県と東京都のちょうど境目にある市である。車なら練馬インターを入り、東京外環自動車道を抜けて常磐自動車道の常総インターで降りて少し走る。
 守谷市は私たちが越してくる少し前に「市」になった新しい街である。国道や幹線道路をそれると静かな住宅街があり畑地もある。朝の犬の散歩では、毎朝ミミズに出合うし、大きなヒキガエルがいてなかなか道を譲ってくれなくて困ったこともあった。

■今宵は、「蟇(ヒキ)」の句を紹介しよう。

 1・我庵の朽臼蟇を生みにけり  西山泊雲
 (わがいおの くちうすひきを うみにけり) にしやま・はくうん

 西山泊雲は、兵庫県丹波市の西山酒造の長男。弟泊月の紹介で高浜虚子に師事した。
大正初期に虚子が改めて写生句を進めた時期、写生の申し子と言われた泊雲は、「ホトトギス」で最も多く巻頭作家になった。
 
 家業の西山酒造が不振であった時に虚子はその醸造酒に「小鼓」と命名して「ホトトギス」に何度も広告を出して、泊雲の西山酒造の再興を助けた。
 掲句は、泊雲の西山酒造所にたくさん置かれてある朽ち果てた臼の中を見たときのこと・・本当にヒキガエルが出てきたのではないか! まるで臼がヒキガエルを産んだかのごとくに!
 俳誌「ホトトギス」で西山酒造の広告記事を読んだ私は、丹波市の西山酒造に電話を入れて・・酒好きの父と夫に「小鼓」を注文してプレゼントしたことがあった。父も夫も、私が話す虚子のこと泊雲のことを聞きながら「うまいなあ!」と言った。

 2・蟾蜍長子家去る由もなし  中村草田男
 (ひきがえる ちょうしいえさる よしもなし) なかむら・くさたお

 中村草田男の第一句集(処女句集)名はこの作品から採った『長子』である。草田男は中村家の長子であることは勿論であるが、『草田男俳句365日』の六月二十日に、この作品のことが書かれている。一部を紹介させていただく。
 「蟾蜍は作者の化身である。鈍重で、愛想のない、醜いその爬虫類は、自らに与えられた「長子」という運命を愛し、それを忍耐強く担い続けて行くことを使命として自覚する作者の”暗喩”として舞台に登場する。「由もなし」は作者の言うように「術(すべ)もなし」という諦めの気持ちではなくて、決意するための原点を確認した言葉である。従って「長子」という二文字には、旧約聖書の”長子”に通ずる重みがある。粘液質の作者ならではの世界(コスモス)と言えよう。同時に草田男俳句の難解さの原点(ルーツ)も、ここにあると言える。(句集『長子」”夏”所収』

 楠本憲吉編著『作句歳時記 夏』には、次のような解釈が加わっていた。
 「ヒキガエルは初夏にはい出てくるが、あまり遠くへは行かない。このヒキガエルが「長子」とイメージがだぶり、強い効果を出している。見ばえがせず、鈍重で見た目よりおとなしく、おっとりしていて、しかも悠然としている。またどこかオドオドしているようでもある。それに、見なれてくると愛敬さえ感じることも・・。」

 3・蠅のんで色変りけり蟇  高浜虚子
 (はえのんで いろかわりけり ひきがえる) たかはま・きょし

 今回、例句を探し句意を調べていて興味深かったのは、蟇に「色変りけり」という変化が起こることを知ったことだ。それも、ほんの少しの変化であるという。
 
 私の住む守谷市はそちこちに畑が広がっている。犬の散歩でこうした農道をゆくが、数年前に一度、ヒキガエルと出くわしたことがあった。私と犬を見てもじっとしているだけで蟇の方から先に逃げる気配はなかった。犬のノエルも知らんふりしているので、「ヒキガエルさん、通りますね!」と挨拶して犬の散歩を続けた。