第四十九夜 「雹」の句

 茨城県取手市にいた頃に住んでいたマンションの2階とは別に、出版社蝸牛社の倉庫としてマンションの地下の倉庫を借りていた。小さな出版社は何もかも・・注文があれば倉庫から本を運び、注文をしてくれた本を書店ごとに仕分けして、自ら東販、日販に搬入していた。自らというより女房である私の仕事であった。
 私が少しほっと出来る時代・・そう、蝸牛社に社員がいた時代があったのだ。30年の間にはよく売れる本が不思議な間隔で訪れた。また夫の荒木は、編集者として大きな出版社の仕事を戴いた時期もあった。
 ほっと一息つける束の間・・「ああ! 生かされている!」と思った。
 
 雹に遭ったのは2度。1度目は神田で仕事を終えて喫茶店の外に置かれたテーブルで一息ついていた時であった。突然、空から氷の塊が落ちてきたのだ。頭に直に当たることはなかったが、氷はアスファルトの地面を叩きつけ轟音を立てて飛び跳ねている。
 2度目は取手から東京へ向かうハイウェイを走っていた時だ。梅雨の終わりの頃であったと思う。どの車も時速100キロは出していた。こうした状況で、女の私が雹の真下を走り抜けるのは恐怖との戦いでもあった。だが、ハイウェイでは一定のスピードの流れにのっている時には、急ブレーキをかけることは逆に危険である。
 「怖いな!」の気持ちと闘いながら、願わくば「雹」に当たらないようにとハンドルを握っていた。

 「雹」と「雷」の句を紹介してみよう。 

■「雹」と「雷」の句

 1・雹晴れて豁然とある山河かな  村上鬼城
 (ひょうはれて かつぜんとある さんがかな) むらかみ・きじょう

 雹とは、雲(積乱雲)から降る直径5ミリ以上の氷の粒が大きくなった氷の塊のことで、積乱雲の中で上昇と下降を繰り返して大きくなり、ある程度の大きさになると落下していくという。
 雹が地上に落ちる過程で空気中のゴミも共に落ちてしまうため、辺りの景色はすっきりと開けてくるのでしょう。

 2・月欠けて野川を照らす雹のあと  堀口星眠
 (つきかけて のがわをてらす ひょうのあと) ほりぐち・せいみん
 
 上五の「月欠けて」にちょっとしたユーモアを感じた。月が欠けたのは雹に当てられて欠けてしまったから・・と、堀口星眠は起こりうる筈のないことを考えたことで俳句という詩が生まれた。

 3・迅雷をジャズのごとくに聴いてをり  あらきみほ 句集『ガレの壺』
 (じんらいを ジャズのごとくに きいてをり) あらき・みほ

 「迅雷」は激しい雷鳴のこと。頭の上から落ちてきそうなほど間近の雷である場合は怖いものだが、時には聴いていて、ジャズのリズミカルな激しさを思うことがある。気がつくと指先でリズムをとっていることもある。ジャズが流行り初めていた大学時代、ジャズ喫茶に行ったことがあったが、ジャズに没頭できる人の特別の場のようで、お喋りもしにくく感じた。
 昭和20年生まれの戦後っ子。高校から青山学院で大学では英米文学科。父も母も九州大分県出身・・なんだか頑張ってハイカラさんになろうとしていたのかもしれない。