第四十四夜 椿山荘の「ほうたる」

 今日は父の日。ケーキ好きの娘がつくば市にある凄腕のケーキ職人の店を見つけて以降、毎年嬉々としてお誕生日も母の日も父の日もクリスマスも新年も、欠かすことなく見事なケーキを用意してくれている。
 娘がケーキ屋さんへ車を飛ばしたのは昨日であった。
 いつもは犬のノエルも一緒に必ずついてゆくが、久しぶりに私の体調が目眩っぽいので家で待つことにした。母の日は赤いケーキ・・今年の父の日は緑色のケーキであった。色の使い方に毎年驚かされるが、それにしても緑色のケーキとは・・今回もまた目がまん丸くなった!
 
 この時期は、自然が豊かな公園に行くと暮れかかる頃には飛んでいる螢に出合うかもしれない。
 今宵は「螢」の句を紹介しよう。

■椿山荘の「ほうたる」

 1・ほたるとり父と歩けば父のにおい  長野県柏原小5 内山 泉美 『小学生の俳句歳時記』蝸牛新社
 (ほたるとり ちちとあるけば ちちのにおい) うちやま・いずみ

 私たち夫婦が父と娘を誘って椿山荘の「ほたるの夕べ」に参加したのは、もう30年ほど昔のことである。父の日であったかどうかは忘れてしまったが・・。椿山荘のビュッフェで夕食を戴きながら、さらに父と夫は日本酒を飲みながら、螢の飛び交う暗さになるまでの時間を過ごした。いざ立ち上がると酒好きの父は早くもしたたかに酔った足取りになっているではないか。椿山荘の庭園に出るには暗い坂道を歩かねばならない。私ははらはらし、夫は父をエスコートしながら庭園を歩きはじめた。
 
 2・いつぴきのほうたるつひと父の腕  あらきみほ 『ガレの壺』
 (いつぴきの ほうたるつひと ちちのうで)

 この句も、椿山荘に行ったときの句である。
 父は、我流で俳句を作っては俳句雑誌に投句していた。父と私たち夫婦が石寒太主宰の「炎環」に所属したのは夫の荒木清が俳句関連の書を多く作った出版社「蝸牛社」の設立以降であった。ほぼ同時期に、私は東京練馬区の光が丘imaで、その後の30年間を師事することになった高浜虚子と山口青邨の弟子であった深見けん二先生の俳句教室に入ったのであった。
 この蛍の句を俳誌に発表したのは「炎環」であったと思う。

 3・天国はこんなにきれい螢の夜  あらきみほ 『ガレの壺』
 (てんごくは こんなにきれい ほたるのよ)

 この句も、椿山荘に行ったときの句である。ここの蛍は椿山荘の「ほたるの夕べ」を開催している間に庭に放つそうである。蛍が飛ぶという大きな公園に行ってもこれほど決められたスペースが輝くような蛍の光とはならないであろう。あまりの美しさに「天国はこんなにきれい」という12文字が浮かんだのであった。