今まさに梅雨の最中!・・犬のノエルとゆく散歩道は片側に野原がひろがっている。その野原からミミズも朝の散歩に出てきているのか、ミミズたちに出合うのだ。春になり路上にミミズを頻繁に見かけるようになってもう一と月ほど経つ。
ミミズは見るだけで「いやっ!」と思う長い年月があったし、今だって見かけるとなるべく視線を外すようにしている。透き通った赤黒い色・・ぬめぬめした肌・・伸びたり縮んだりしている・・目はあると本には書いてあるが、目も口も何処にあるのかわからないミミズの全体像・・!
歳時記には「蚯蚓」の季題がある。
みみずは土の中の不必要な物質を分解し、有益肥沃な土にかえる有用な動物であり、魚釣りの餌になり、解熱剤、強壮剤にもなる。
畑で野菜作りを愉しんでいる夫は、蚯蚓が居るということは肥沃な土壌である証拠だよ、と言う。
■今宵は、「蚯蚓」の句を紹介させて戴こう。
1・みちのくの蚯蚓短し山坂勝ち 中村草田男
(みちのくの みみずみじかし やまさかがち) なかむら・くさたお
楠本憲吉編著『作句歳時記 夏』に掲句の鑑賞がある。私もこの句を調べながらの音の多さに気づいた。アルファベット表記では、下記のように8つのの音があった。
(mitinokuno mimizumijikasi yamasakagati)
さらに、蚯蚓は10センチ前後の長いもの短いものがあり、細いもの太いものがあるという。
この句は昭和20年の終戦直前の作で「勤労地にて」という前書が付されていた。草田男がけわしい坂道で出合った蚯蚓は、ずんぐりと短く太いグロテスクな蚯蚓であったという。
2・何をしにここに出てきて蚯蚓死す 谷野予志
(なにをしに ここにでてきて みみずしす) たにの・よし
犬のノエルとゆく散歩道は、毎朝のように蚯蚓が横の野原から飛び出して落ちたかと思うほど必ず見かける。全く動かない蚯蚓は死んでいるように見える。掲句のごとくで・・私も「蚯蚓は何をしにここに出てきて・・死んだのかしら?」と思ってしまう。
3・蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ 川端茅舎
(みみずなく ろくはらみつじ しんのやみ) かわばた・ぼうしゃ
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人の札所である。蚯蚓鳴くという秋の夜ともなれば、六波羅蜜寺を訪れる参拝客も去って静けさそのものの真闇であろう。「蚯蚓鳴く」の季題【蚯蚓鳴く=秋】
4・蚯蚓出でひかりのくにをまぶしがる 原 裕
(みみずでて ひかりのくにを まぶしがる) はら・ゆたか
原裕の鑑賞がおもしろい! 蚯蚓が土から出てきたときを光の中・・すなわち「ひかりのくに」へ出てきたと詠んだ。ひかりのくにへ出てきた蚯蚓にとっては初めてのひかりがまぶしかった。思わず伸びたり縮んだりしてしまった蚯蚓の姿こそ「まぶしがる」姿であったのだろう。案外、蚯蚓の心持ちはこのようであったかもしれない。