第五十夜 村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んで
今宵は、青山学院大学の部活ESSでご一緒した・・と言いましょうか、先輩の梅田美智さんからのお声掛けで、大学卒業後に青山学院ESSの会報誌の編集の一員となった時に初めてお目にかかったのが松永信一さんでした。 昨年の夏の...
今宵は、青山学院大学の部活ESSでご一緒した・・と言いましょうか、先輩の梅田美智さんからのお声掛けで、大学卒業後に青山学院ESSの会報誌の編集の一員となった時に初めてお目にかかったのが松永信一さんでした。 昨年の夏の...
茨城県取手市にいた頃に住んでいたマンションの2階とは別に、出版社蝸牛社の倉庫としてマンションの地下の倉庫を借りていた。小さな出版社は何もかも・・注文があれば倉庫から本を運び、注文をしてくれた本を書店ごとに仕分けして、自...
片山和子さん! 有難うございます! 八成小学校は私にとっても特別な思いの3年という月日でした。飯口正子さん、懐かしいですね! 杉並区下井草のわが家の目の前はひこばえ幼稚園がありました。そこでの日曜学校時代、仲良しだった...
ちょうど今、わが家の玄関脇の小庭の紫陽花が大きな毬も小さな毬も咲きはじめている。花を植えるのも育てるのも花器や花瓶に活けるために伐ってくるのも全て夫がこまめにしてくれる。ご近所では奥様がしているのに・・なんという奥様だ...
第四十五夜は「蚯蚓」で、今宵は「蟇」の句を鑑賞してみよう。ミミズもヒキガエルも住んでいる所って「茨城県のどこ?」と言われてしまいそうだが、地図で見ると、守谷市は、茨城県と千葉県と埼玉県と東京都のちょうど境目にある市であ...
今まさに梅雨の最中!・・犬のノエルとゆく散歩道は片側に野原がひろがっている。その野原からミミズも朝の散歩に出てきているのか、ミミズたちに出合うのだ。春になり路上にミミズを頻繁に見かけるようになってもう一と月ほど経つ。 ...
今日は父の日。ケーキ好きの娘がつくば市にある凄腕のケーキ職人の店を見つけて以降、毎年嬉々としてお誕生日も母の日も父の日もクリスマスも新年も、欠かすことなく見事なケーキを用意してくれている。 娘がケーキ屋さんへ車を飛ば...
鈴木すぐるさんは私と同じで、深見けん二先生の主宰する「花鳥来」の会員であった。その当時から既に俳誌「雨蛙」を発行されていて、「雨蛙」の表紙を開くと、毎号のように深見けん二先生の作品の「師の一句鑑賞」が書かれている。鈴木...
2023年、関東地方の梅雨入りは、まだニュースでは明言していないが平年通りに6月7日の今日辺りである。茨城県守谷市では昨夜の10時頃に雷雨があった。「ほら、ごろごろ様が鳴っているわよ!」と、私は犬のノエルに何でも話しか...
村上春樹の『街とその不確かな壁』を読み終えた。本文とあとがきを含めて661頁という久しぶりの大作は読み応えがあった。本著を紹介してくれたのは中学時代以来の親友の上田祥子さん。当時は橋本祥子さんであったが、上田祥子さんで...
守谷に住みはじめて12年は経ったろうか、夫は毎朝のように、南へ向かって犬と朝の散歩をしている。途中から舗装されていない南への畑道となる。その畑の一角を借りて、現在の夫は野菜づくりを楽しんでいる。 忘れもしないが、守谷...
5月14日は母の日。わが家では一日早い13日の土曜日に娘と私と犬のノエルと、つくば市にあるケーキ屋さんへ行った。チョコレートの使い方が見事だと評判の店「ラ・リヴィエ・ドゥ・サーブル」である。娘は、家族の誕生日や母の日や...
小学校4年生だった頃を思い出してみるともう70年近く前のことになるが、担任の久田先生は、俳句を教えてくださったことがあった。五七五と指折り数えることも、そうしながら意味のある十七文字の言葉にしてゆくことも、簡単ではなか...
私は、2009年に植物細密画家野村陽子さんと共著で中経出版から『細密画で楽しむ 里山の草花100』を出版した。その中のⅤ章に「リンゴ(林檎)」を書いているので紹介させていただこう。 「林檎の樹を見ると、学生時代の英語...
書棚で目が合ってしまったのがゴールズワージーの『林檎の樹』である。読書三昧に過ごした青山学院高等部時代に読んで以来60年は経っていて、今回で2度目だ。 『林檎の樹』の語り部でもあるアシャーストは、本著の主役。 結...
夫の荒木清のことをきちんと書いておきたい。昭和18年(1943年)4月29日、荒木清は長崎県平戸市保立町に生まれた。百万本清は俳句会で用いていたもので本名は荒木清で夫である。出会ったころは現在の筑波大学哲学科に在籍して...
東京外国語大学露文科を卒業した父の本棚はロシア文学全集で占められ、子の私にも読んで欲しかったのであろう、少年少女文学全集のトルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーの書も揃えてくれていた。 小学校時代、4年5年の担任...
第三十夜では卒業した八成小学校での4年生から卒業のことを書き、第三十一夜で西戸山第二中学校のことを書いた。だが4年生の春まで通っていた桃井第五小学校の1年から3年までのことは幼かったこともあって思い出すことは少なかった...
八成小学校を卒業した友のほとんどは杉並区立中瀬中学校へ進学した。私は、母の知り合いに薦められた都立戸山高校へ進学するために杉並区から新宿区へ越境入学した。新宿区立西戸山第二中学校である。この中学校へは西武新宿線の高田馬...
昭和20年度生まれの私たちの小学校時代のことに触れてみよう。懐かしく思い出したきっかけは小学校の同窓会をしましょう、という案内状が幹事の山本勝之くん、葛巻(旧姓津田)千恵子さんから届いたことにある。 私たちが卒業した...
昨日は春満月。今日は4月8日の虚子忌。もう10年ほど前のこと、訪れるのは3度目である。1度目は夫と、2度目は深見けん二主宰「花鳥来」の吟行句会、3度目は石寒太主宰「炎環」の吟行句会であった。虚子のお墓に参りたいと電車に...
辻桃子さんは、荒木清が出版社蝸牛社を経営していた時代に刊行した俳句背景シリーズの第13巻『桃童子』をご執筆くださった。今も結社主宰の出版記念パーティは賑やかに行われているであろうが、蝸牛社でも句集が出版されるとほとんど...
夫は大学時代からの友人と二人の桜見物に、昨日、上野公園へ出かけた。「飲みすぎて酔っ払って遅くなったりしないで帰ってきてくださいね!」と、娘と私から釘を刺されて出かけた。 だが、だからと言って呑んべえで過ごしてきた夫が...
次はどなたの句集を紹介しようかと書棚を整理していたら丁度、俳人協会編自註現代俳句シリーズ・Ⅱ期59巻の『大石悦子集』と目が合った。先ずは、簡単な経歴を見てみよう。 「昭和13年、京都府舞鶴市生まれ。昭和29年、作句開...
春風をテーマにした俳句から、短い文章を書いてみよう。 大谷翔平の話題が、77歳のおばさんたちの間にかなりの熱量で飛び交っている。メールにはサイズ一杯の写真も入ってきたが、じつに恰好いい! 私はこのところ頭痛に悩まさ...
この頃は、77歳の喜寿を過ぎた私たちのメル友とのやりとりが、大リーグの大谷翔平の話題にまで飛ぶことも多い。それが特に野球好きの友人というのではなく、「今日はいい天気ね! 青空がきれいだったわ! 今日の大谷はホームラン2...
出版社「蝸牛社」で発行した『蝸牛 俳句文庫』の3巻目は、中田雅敏さん編著の『芥川龍之介』である。中田雅敏さんは、昭和45年生まれ、落合水尾に師事。俳誌「浮野同人」。 久しぶりに『蝸牛 俳句文庫3 芥川龍之介』を読み直...
第二十一夜では編者として登場してくださった稲田眸子さん。今宵は、自註現代俳句シリーズ・13期15の著書『稲田眸子集』より、俳人稲田眸子さんの作品を紹介させていただくことにする。 ■ 1・まくなぎの無数の影を薙ぎ払ふ ...
今日、ポストに届いていたのは、俳人協会から出版された、自註現代俳句シリーズ・13期15『稲田眸子集』であった。懐かしいお名前であったので早速読みはじめた。稲田眸子さんは、出版社蝸牛社を経営していた時代のシリーズ『秀句三...
「二」から「百」までの数字を詠み込んだ作品を紹介させていただこう。 ■「二」の数字 降誕祭讃へて神を二人称 津田清子 (こうたんさい たたえてかみを ににんしょう) つだ・きよこ 津田清子は奈良県生まれ。橋本...
今日は三月一日。数字の「一」を詠み込んでいる作品を集めてみたところ、考えていた以上に多くの名句に出合えた。名句と言うわけではないが、たとえば私の句集『ガレの壺』を開けば、第一句目は「一日をまつ白にして雪が降る」と、「一...
当時経営していた出版社蝸牛社で第一冊目は金子光晴の随筆集『相棒』であった。その後、ユネスコ・アジア文化センター主催の世界の絵本展が開かれ24冊の絵本を出版した。 俳句では、シリーズで『秀句350選』を33巻、『蝸牛 ...
「死」のテーマは三夜目となり、今日は第十八夜目である。「死」の句を選んでいて出合った「仮死」の句も是非ここに紹介したい。 もう一つ、高浜虚子の俳誌「ホトトギス」の中で見つけたブラジル移民の作品の中から、他郷で亡くなっ...
倉田紘文編著『秀句三五〇選6 死』蝸牛社刊より、【Ⅱ南無】の分類から川端茅舎の作品を見てゆこう。 ■今宵は、深見けん二先生の主宰誌「花鳥来」に発表したあらきみほの鑑賞文「朴散華」を、ここに再録させていただく。 1・朴...
今宵から、出版社蝸牛社刊『秀句三五〇選6 死』より二日間、死の作品を紹介させていただこう。 編著者の倉田紘文先生は、解説〈死〉で次のように書き出していた。 「”死”・・なんと遠くて身近な思いをさせる語であろう。その...
今日はバレンタインの日。第二次世界大戦が終わった昭和20年に生まれた私が、バレンタインの日という素敵な日があることを知ったのは、都心の高田馬場の西戸山第二中学校の帰り道にあるケーキ屋さんのショーウィンドウに飾られた夢の...
今宵は、あらきみほの作品二句を自句自解させていただくことにしよう。 ■1 もう春よ目眩はきつと春のせい (もうはるよ めまいはきっと はるのせい) この句は、友人からの次のような返事のメールをいただきながら...
出版社蝸牛社からテーマ別アンソロジー『秀句三五〇選』出した折、第28巻目は、鈴木伸一編の『秀句三五〇選 28 地』であった。 例句は鈴木伸一さんの選んだ「地」の作品から、春の季語であるものを紹介させていただこう。「生...
あのときの雪が風花だったかもしれない、もう50年ほどの昔、高等部を卒業し大学入学までの一月ほどの春休み、小雪のちらつく春先の長野のスキー場で出合った雪がきっと風花であったのだと思っている。 高浜虚子の「風花」の作品と...
平成9年2月2日、あらきみほの父志解井司が79歳の寿命を全うした日である。もう没後50年になる。父の本名は重石正巳。俳号を「重石」は、名字の「しげいし」を漢字で姓を「志解井(しげい)」、名を「司(つかさ)」とした。生地...
大学一年の時に選んだ講義の一つが「黒人文学」であった。この講義は東大の教授で、黒人文学が専門であった。それほど大きな教室ではなかったが聴講生で一杯であった。 アメリカ合衆国の南部では、タバコ栽培や綿花の広大...
深見けん二先生が結社「花鳥来」を立ち上げた翌年の新年の初句会であったと思う。この日は吟行ではなく、埼玉県所沢市の農家の旧家のメンバーのお屋敷が会場となって、みんなで繭玉づくりをした。 餅米をせいろで蒸し上げ、臼に移し...
私は、少しの間だったが「萬斎の会」に入っていたことがあった。お能のことが知りたかったのは、今から35年前になる。偶然であるが、能楽に詳しい高浜虚子の最晩年の弟子である深見けん二先生の句会に入会したことで、私の俳句人生が...
■第五夜 あらきみほの「続 喜寿の友」 俳句の同い年の仲間の浦部熾さんが4月に喜寿を迎えた時に喜寿の俳句を差し上げた。 胡蝶の夢てふてふひらひら熾の舞 (こちょうのゆめ ちょうちょうひらひら おきのまい) ...
娘は仕事に、夫は犬のノエルと散歩に出かけた。三年かけた「千夜千句」が終え、次は「あしたの風」にしようと、タイトルは決めたものの、路線がはっきり決まっているわけではない。 「あしたの風」も「千夜千句」と同様、私の好きな...
「千夜千句」が終え、ゆっくり始まった「あしたの風」は第三夜目である。11月24日から行われたFIFAワールドカップのことからスタートしよう。私自身は、スポーツは詳しくはないが、居間のテレビは夫と娘に乗っ取られてしまい、...
百万本清 1・音もなくどこに消えゆく流れ星 いづこに消ゆる 2・冬晴れのカフェに遊ぶやドッグラン 3・やつぱり筆で書けよと冬だより 4・白菊に月光冴えて無音なり ◎ 5・乱菊の道へ乱れて歩くのみ
「千夜千句」の次は「あしたの風」と決めてはいるが、「さあ書くぞ!」「毎日書くぞ!」というまでには体調が戻ってきていない。やっぱり疲れていたのだろう。 私の誕生した11月は秋晴れの日が多い。 数日前、犬のノエルを連れ...
「千夜千句」が終わりそうな第九百九十九夜の頃であった。この日、長い友人から国立能楽堂のお能のお誘いをいただいた。 「千夜千句」のことには何も触れず、千駄ヶ谷の駅から銀杏並木道を歩いて、能楽堂の苑内に入った。少し早...
千夜千句の次は、「あしたの風」として気持も新たに俳句のブログ Miho Haiku Note 1 として記事をつづけてまいる予定です! 「千夜千句」は、11月10日のわたしの喜寿の誕生日を目標にして綴ってまいりまし...