第四十三夜 鈴木すぐるの「立夏」の句

 鈴木すぐるさんは私と同じで、深見けん二先生の主宰する「花鳥来」の会員であった。その当時から既に俳誌「雨蛙」を発行されていて、「雨蛙」の表紙を開くと、毎号のように深見けん二先生の作品の「師の一句鑑賞」が書かれている。鈴木すぐるさんの鑑賞だけでなく、けん二先生の自解であったり、有名な俳人の鑑賞であったり・・読んでいて学べることがうれしくなってくる。
 今回の夏号には平成15年作の、対で詠まれた「形代」の二句であった。

■深見けん二先生の鑑賞を見てみよう。

 1・形代の白こそ男の子我の手に  深見けん二
 (かたしろの しろこそおのこ われのてに)

 形代は、身代わりの人形に人の罪や穢れを移す儀式であり、夏越の祓に用いる。平安時代から宮廷や貴族の間で行われていた行事で、今も六月の晦日に多くの神社で行われている。人の形に切り取った形代に自分の名前を書き、息を吹きかけたり体を撫でたりして身の穢れや罪を人形に移し、それを神職が集めて祝詞をあげ、水にながしたり水に沈めたりする。併せて蘇民将来の故事による萱で作った茅の輪を潜ると、病気を避けることができると言われていて、毎年六月の吉日になると、近くの神社にも大きな茅の輪が立つ。
 この年とは、この句を詠んだ平成十五年のことで、六月十四日、けん二先生は山王神社の夏越の祓いに奥様と出かけられたという。

 2・形代の黄はをみなとぞ妻の手に  
 (かたしろの きはおみなとぞ つまのてに)

 形代は二枚あり、白が男、黄が女、そのどちらかで身を撫で、穢れを払う。毎年のように行かれる龍子奥様と二人で毎年のように行かれるので、この年この二句を得た。
 ある年、「花鳥来」の例会が夏越の祓いの日と「花鳥来」の例会が重なったことがあった。けん二先生はよい機会だと思ったのであろう。「花鳥来」の例会は吟行句会なので、皆で夏越の祓いの場に立つことができた。この日は龍子奥様も参加されたと記憶しているが・・!

■「雨蛙」に発表された鈴木すぐるさんの作品

  遠く湧く雲に立夏の光りあり  鈴木すぐる  
 (とおくわく くもにりっかの ひかりあり) すずき・すぐる

 夏に見る雲といえばもくもくとした白い入道雲がまず浮かぶ。すぐるさんの「遠く湧く雲」とは、大きく湧き上がった入道雲ではないだろうか。
 今年の立夏は5月6日。ゴールデンウィークの最中であった。わが家はケーキが大好きな娘と犬のノエルと一緒にドライブを兼ねて、つくば市の外れにある一番美味しいと評判のケーキ屋さんへ走り、白い雪のスポンジに飴細工にみえる赤いバラの花びら一枚がのったケーキを買った。
 道中の、関東平野のど真ん中の茨城県の青空に浮かぶ大きな白い雲も、ケーキに負けない輝きを放っていた。

  水田は大きな鏡鯉のぼり  鈴木すぐる  
 (すいでんは おおきなかがみ こいのぼり) すずき・すぐる

 茨城県の米の生産量は全国で第6位である。道中の右も左も田んぼで、空も辺りの景色もすべてが映っている一面の水田であった。田んぼの真中に大きな屋敷があって、大きな鯉幟が立っている。その水田が大きな鏡となって鯉幟を映し出している景に出合った。
 鈴木すぐるさんは、茨城県と同じように田んぼの広がる大地の埼玉県の方である。

  振りたくてただ振つてゐる捕虫網  鈴木すぐる  山田閏子主宰誌「初桜」より  
 (ふりたくて ただふつている ほちゅうあみ)

 この作品のモデルはもしかしたら鈴木すぐるさんのまだ小さなお孫さんかしら。男の子は幼いころから外を駆けずり回っている。トンボやバッタやチョウチョを追いかけている。捕虫網を買ってもらったけれど、「えいやっ!」と、網で捕まえたと思ったのに・・逃げられてしまっている。傍から見ていると、捕虫網をただ闇雲に振りまわしているようにしか見えないのだが! そこが可愛らしいのだ!
 「初桜」には、山田閏子主宰の鑑賞があった。紹介させて戴く。
「捕虫網を買ってもらって、辺りに虫もいないのに、ただただ嬉しくて網を振りまわしている。「振りたくて」に情がこもった。」