第三十八夜 中学校3年 志賀高原での初スキー

 西戸山第2中学校を卒業した春、私は、小学校時代から母子ともに仲良しだった知ちゃんこと樋口知代さんに誘われて、志賀高原で初めてのスキー体験をした。知ちゃんの一番上のお兄さんは東工大(東京工業大学)の学生で、志賀高原に大学の小屋があった。15歳のこの時に始まって大学4年の春スキーで終わりを告げることになった私のスキー歴は、7年間であった。
 理由は、大学3年の秋に出合った現在の夫の住む長崎市で結婚することになったからである。ある年の春、登った長崎の雲仙岳のてっぺん付近には雪が残っていた。普通の運動靴であったが、「あっ、雪だわ!」という懐かしさが足の裏から込み上げてきたことを覚えている。
 
■今宵は、あらきみほの『ガレの壺』より雪の俳句をみてみよう。

 1・一日をまつ白にして雪が降る  平成1年作
 (いちにちを まっしろにして ゆきがふる)

 平成元年の1月、当時住んでいた練馬区光が丘駅に巨大なショッピングモール「ima(イマ)」ができた。買物だけでなくnhk文化センター主催の大人用の教室もあって、私はその一つの俳句教室に参加した。指導してくださる先生は高浜虚子の晩年の弟子の深見けん二先生であり、私の生涯の師である。
 なにしろ俳句を作るのは初めてであったから大変! 点数は入らないし、句会が終わるや深見先生は帰ろうとする私を引き止めて、「荒木さん、ここはどういう意味でしょうか?」と尋ねてくる。「例えば、このように直したら如何でしょう!」と、大先生なのにとても丁寧に訊かれたことに驚いた。15人ほどのメンバーは長く俳句をしている方ばかり・・にこにこ笑ってくださっていたけれど、「とんでもない初心者が入ってきた!」と思われたに違いない。
 掲句は、入会して8ヶ月ほど経った冬の句会に投句したもの。皆の選に「はい、あらきみほです!」と、この日、私は一番多くの名乗りを挙げた初めての作品となった。

 2・ソユーズの小窓の一点雪の富士  平成3年作
 (ソユーズの こまどのいってん ゆきのふじ)

 平成3年(1991年)にソ連の宇宙船ソユーズ号が打上げられた時のこと。私が俳句をはじめて2年目ほどであった。テレビでは華々しくソユーズから眺めている地球の映像を流しつづけていた。地球からの高度はどれくらいなのだろうか。
 ソユーズ宇宙船は、ソユーズロケットで打上げられるロシアの有人宇宙機であり、地上と国際宇宙ステーション(iss)との間の往復等に使用されている。
 掲句は、ソユーズが地球を周りながら小窓から写し出されてくる映像の一コマの、日本の雪を被った富士山を詠んだもので・・家族中で目を丸くしてテレビに見入った日であった。この一コマを俳句に切り取ることが出来た私は嬉しくなった。

 3・金泥の闇しんしんと雪景色  平成5年作
 (きんでいのやみ しんしんと ゆきげしき)

 しんしんとは雪などが静かに多く降る様子などを意味する表現であり、その雪景色を、30年前の私は「金泥の闇」と詠み出していた。
 もともと雪が好き、雪が降るのを眺めているのが好きな、スキーの大好きな少女であった。金泥の闇とは・・この句を詠んだ当時のことは忘れてしまっているが、想像をしてみると一日中降っていた雪が止んで、積もった雪は月光をあびて、大地はいま黄金色に輝きはじめているところですよとなるであろうか。