千夢千句第1回 「俳壇」2023年12月号「自句自戒」を書かせていただきました
最新号の「俳壇」2023年12月号「自句自戒」を書かせていただきました。 深見先生との出会いの思い出から、私が大好きな白鳥の俳句についてです。 ぜひよんでいただければうれしいです。 https://www.fujisan...
最新号の「俳壇」2023年12月号「自句自戒」を書かせていただきました。 深見先生との出会いの思い出から、私が大好きな白鳥の俳句についてです。 ぜひよんでいただければうれしいです。 https://www.fujisan...
俳句紹介が中心の「千夜千句」が終わった後、去年の誕生日11月10日から私のエッセイ寄りの「明日の風」を更新してきました。 11月10日にはまた私の誕生日を迎えます。 また新たに俳句に向き合おうと考え、次は俳句紹介がメイン...
今宵は、青山学院大学の部活ESSでご一緒した・・と言いましょうか、先輩の梅田美智さんからのお声掛けで、大学卒業後に青山学院ESSの会報誌の編集の一員となった時に初めてお目にかかったのが松永信一さんでした。 昨年の夏の...
茨城県取手市にいた頃に住んでいたマンションの2階とは別に、出版社蝸牛社の倉庫としてマンションの地下の倉庫を借りていた。小さな出版社は何もかも・・注文があれば倉庫から本を運び、注文をしてくれた本を書店ごとに仕分けして、自...
片山和子さん! 有難うございます! 八成小学校は私にとっても特別な思いの3年という月日でした。飯口正子さん、懐かしいですね! 杉並区下井草のわが家の目の前はひこばえ幼稚園がありました。そこでの日曜学校時代、仲良しだった...
ちょうど今、わが家の玄関脇の小庭の紫陽花が大きな毬も小さな毬も咲きはじめている。花を植えるのも育てるのも花器や花瓶に活けるために伐ってくるのも全て夫がこまめにしてくれる。ご近所では奥様がしているのに・・なんという奥様だ...
第四十五夜は「蚯蚓」で、今宵は「蟇」の句を鑑賞してみよう。ミミズもヒキガエルも住んでいる所って「茨城県のどこ?」と言われてしまいそうだが、地図で見ると、守谷市は、茨城県と千葉県と埼玉県と東京都のちょうど境目にある市であ...
今まさに梅雨の最中!・・犬のノエルとゆく散歩道は片側に野原がひろがっている。その野原からミミズも朝の散歩に出てきているのか、ミミズたちに出合うのだ。春になり路上にミミズを頻繁に見かけるようになってもう一と月ほど経つ。 ...
今日は父の日。ケーキ好きの娘がつくば市にある凄腕のケーキ職人の店を見つけて以降、毎年嬉々としてお誕生日も母の日も父の日もクリスマスも新年も、欠かすことなく見事なケーキを用意してくれている。 娘がケーキ屋さんへ車を飛ば...
鈴木すぐるさんは私と同じで、深見けん二先生の主宰する「花鳥来」の会員であった。その当時から既に俳誌「雨蛙」を発行されていて、「雨蛙」の表紙を開くと、毎号のように深見けん二先生の作品の「師の一句鑑賞」が書かれている。鈴木...
2023年、関東地方の梅雨入りは、まだニュースでは明言していないが平年通りに6月7日の今日辺りである。茨城県守谷市では昨夜の10時頃に雷雨があった。「ほら、ごろごろ様が鳴っているわよ!」と、私は犬のノエルに何でも話しか...
村上春樹の『街とその不確かな壁』を読み終えた。本文とあとがきを含めて661頁という久しぶりの大作は読み応えがあった。本著を紹介してくれたのは中学時代以来の親友の上田祥子さん。当時は橋本祥子さんであったが、上田祥子さんで...
守谷に住みはじめて12年は経ったろうか、夫は毎朝のように、南へ向かって犬と朝の散歩をしている。途中から舗装されていない南への畑道となる。その畑の一角を借りて、現在の夫は野菜づくりを楽しんでいる。 忘れもしないが、守谷...
5月14日は母の日。わが家では一日早い13日の土曜日に娘と私と犬のノエルと、つくば市にあるケーキ屋さんへ行った。チョコレートの使い方が見事だと評判の店「ラ・リヴィエ・ドゥ・サーブル」である。娘は、家族の誕生日や母の日や...
西戸山第2中学校を卒業した春、私は、小学校時代から母子ともに仲良しだった知ちゃんこと樋口知代さんに誘われて、志賀高原で初めてのスキー体験をした。知ちゃんの一番上のお兄さんは東工大(東京工業大学)の学生で、志賀高原に大学...
小学校4年生だった頃を思い出してみるともう70年近く前のことになるが、担任の久田先生は、俳句を教えてくださったことがあった。五七五と指折り数えることも、そうしながら意味のある十七文字の言葉にしてゆくことも、簡単ではなか...
私は、2009年に植物細密画家野村陽子さんと共著で中経出版から『細密画で楽しむ 里山の草花100』を出版した。その中のⅤ章に「リンゴ(林檎)」を書いているので紹介させていただこう。 「林檎の樹を見ると、学生時代の英語...
書棚で目が合ってしまったのがゴールズワージーの『林檎の樹』である。読書三昧に過ごした青山学院高等部時代に読んで以来60年は経っていて、今回で2度目だ。 『林檎の樹』の語り部でもあるアシャーストは、本著の主役。 結...
夫の荒木清のことをきちんと書いておきたい。昭和18年(1943年)4月29日、荒木清は長崎県平戸市保立町に生まれた。百万本清は俳句会で用いていたもので本名は荒木清で夫である。出会ったころは現在の筑波大学哲学科に在籍して...
東京外国語大学露文科を卒業した父の本棚はロシア文学全集で占められ、子の私にも読んで欲しかったのであろう、少年少女文学全集のトルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーの書も揃えてくれていた。 小学校時代、4年5年の担任...
第三十夜では卒業した八成小学校での4年生から卒業のことを書き、第三十一夜で西戸山第二中学校のことを書いた。だが4年生の春まで通っていた桃井第五小学校の1年から3年までのことは幼かったこともあって思い出すことは少なかった...
八成小学校を卒業した友のほとんどは杉並区立中瀬中学校へ進学した。私は、母の知り合いに薦められた都立戸山高校へ進学するために杉並区から新宿区へ越境入学した。新宿区立西戸山第二中学校である。この中学校へは西武新宿線の高田馬...
昭和20年度生まれの私たちの小学校時代のことに触れてみよう。懐かしく思い出したきっかけは小学校の同窓会をしましょう、という案内状が幹事の山本勝之くん、葛巻(旧姓津田)千恵子さんから届いたことにある。 私たちが卒業した...
昨日は春満月。今日は4月8日の虚子忌。もう10年ほど前のこと、訪れるのは3度目である。1度目は夫と、2度目は深見けん二主宰「花鳥来」の吟行句会、3度目は石寒太主宰「炎環」の吟行句会であった。虚子のお墓に参りたいと電車に...
辻桃子さんは、荒木清が出版社蝸牛社を経営していた時代に刊行した俳句背景シリーズの第13巻『桃童子』をご執筆くださった。今も結社主宰の出版記念パーティは賑やかに行われているであろうが、蝸牛社でも句集が出版されるとほとんど...
夫は大学時代からの友人と二人の桜見物に、昨日、上野公園へ出かけた。「飲みすぎて酔っ払って遅くなったりしないで帰ってきてくださいね!」と、娘と私から釘を刺されて出かけた。 だが、だからと言って呑んべえで過ごしてきた夫が...
次はどなたの句集を紹介しようかと書棚を整理していたら丁度、俳人協会編自註現代俳句シリーズ・Ⅱ期59巻の『大石悦子集』と目が合った。先ずは、簡単な経歴を見てみよう。 「昭和13年、京都府舞鶴市生まれ。昭和29年、作句開...
春風をテーマにした俳句から、短い文章を書いてみよう。 大谷翔平の話題が、77歳のおばさんたちの間にかなりの熱量で飛び交っている。メールにはサイズ一杯の写真も入ってきたが、じつに恰好いい! 私はこのところ頭痛に悩まさ...
この頃は、77歳の喜寿を過ぎた私たちのメル友とのやりとりが、大リーグの大谷翔平の話題にまで飛ぶことも多い。それが特に野球好きの友人というのではなく、「今日はいい天気ね! 青空がきれいだったわ! 今日の大谷はホームラン2...
出版社「蝸牛社」で発行した『蝸牛 俳句文庫』の3巻目は、中田雅敏さん編著の『芥川龍之介』である。中田雅敏さんは、昭和45年生まれ、落合水尾に師事。俳誌「浮野同人」。 久しぶりに『蝸牛 俳句文庫3 芥川龍之介』を読み直...
第二十一夜では編者として登場してくださった稲田眸子さん。今宵は、自註現代俳句シリーズ・13期15の著書『稲田眸子集』より、俳人稲田眸子さんの作品を紹介させていただくことにする。 ■ 1・まくなぎの無数の影を薙ぎ払ふ ...
今日、ポストに届いていたのは、俳人協会から出版された、自註現代俳句シリーズ・13期15『稲田眸子集』であった。懐かしいお名前であったので早速読みはじめた。稲田眸子さんは、出版社蝸牛社を経営していた時代のシリーズ『秀句三...
「二」から「百」までの数字を詠み込んだ作品を紹介させていただこう。 ■「二」の数字 降誕祭讃へて神を二人称 津田清子 (こうたんさい たたえてかみを ににんしょう) つだ・きよこ 津田清子は奈良県生まれ。橋本...
今日は三月一日。数字の「一」を詠み込んでいる作品を集めてみたところ、考えていた以上に多くの名句に出合えた。名句と言うわけではないが、たとえば私の句集『ガレの壺』を開けば、第一句目は「一日をまつ白にして雪が降る」と、「一...
当時経営していた出版社蝸牛社で第一冊目は金子光晴の随筆集『相棒』であった。その後、ユネスコ・アジア文化センター主催の世界の絵本展が開かれ24冊の絵本を出版した。 俳句では、シリーズで『秀句350選』を33巻、『蝸牛 ...
「死」のテーマは三夜目となり、今日は第十八夜目である。「死」の句を選んでいて出合った「仮死」の句も是非ここに紹介したい。 もう一つ、高浜虚子の俳誌「ホトトギス」の中で見つけたブラジル移民の作品の中から、他郷で亡くなっ...
倉田紘文編著『秀句三五〇選6 死』蝸牛社刊より、【Ⅱ南無】の分類から川端茅舎の作品を見てゆこう。 ■今宵は、深見けん二先生の主宰誌「花鳥来」に発表したあらきみほの鑑賞文「朴散華」を、ここに再録させていただく。 1・朴...
今宵から、出版社蝸牛社刊『秀句三五〇選6 死』より二日間、死の作品を紹介させていただこう。 編著者の倉田紘文先生は、解説〈死〉で次のように書き出していた。 「”死”・・なんと遠くて身近な思いをさせる語であろう。その...
今日はバレンタインの日。第二次世界大戦が終わった昭和20年に生まれた私が、バレンタインの日という素敵な日があることを知ったのは、都心の高田馬場の西戸山第二中学校の帰り道にあるケーキ屋さんのショーウィンドウに飾られた夢の...
今宵は、あらきみほの作品二句を自句自解させていただくことにしよう。 ■1 もう春よ目眩はきつと春のせい (もうはるよ めまいはきっと はるのせい) この句は、友人からの次のような返事のメールをいただきながら...
出版社蝸牛社からテーマ別アンソロジー『秀句三五〇選』出した折、第28巻目は、鈴木伸一編の『秀句三五〇選 28 地』であった。 例句は鈴木伸一さんの選んだ「地」の作品から、春の季語であるものを紹介させていただこう。「生...
あのときの雪が風花だったかもしれない、もう50年ほどの昔、高等部を卒業し大学入学までの一月ほどの春休み、小雪のちらつく春先の長野のスキー場で出合った雪がきっと風花であったのだと思っている。 高浜虚子の「風花」の作品と...
平成9年2月2日、あらきみほの父志解井司が79歳の寿命を全うした日である。もう没後50年になる。父の本名は重石正巳。俳号を「重石」は、名字の「しげいし」を漢字で姓を「志解井(しげい)」、名を「司(つかさ)」とした。生地...
大学一年の時に選んだ講義の一つが「黒人文学」であった。この講義は東大の教授で、黒人文学が専門であった。それほど大きな教室ではなかったが聴講生で一杯であった。 アメリカ合衆国の南部では、タバコ栽培や綿花の広大...
深見けん二先生が結社「花鳥来」を立ち上げた翌年の新年の初句会であったと思う。この日は吟行ではなく、埼玉県所沢市の農家の旧家のメンバーのお屋敷が会場となって、みんなで繭玉づくりをした。 餅米をせいろで蒸し上げ、臼に移し...
私は、少しの間だったが「萬斎の会」に入っていたことがあった。お能のことが知りたかったのは、今から35年前になる。偶然であるが、能楽に詳しい高浜虚子の最晩年の弟子である深見けん二先生の句会に入会したことで、私の俳句人生が...
■第五夜 あらきみほの「続 喜寿の友」 俳句の同い年の仲間の浦部熾さんが4月に喜寿を迎えた時に喜寿の俳句を差し上げた。 胡蝶の夢てふてふひらひら熾の舞 (こちょうのゆめ ちょうちょうひらひら おきのまい) ...
娘は仕事に、夫は犬のノエルと散歩に出かけた。三年かけた「千夜千句」が終え、次は「あしたの風」にしようと、タイトルは決めたものの、路線がはっきり決まっているわけではない。 「あしたの風」も「千夜千句」と同様、私の好きな...
「千夜千句」が終え、ゆっくり始まった「あしたの風」は第三夜目である。11月24日から行われたFIFAワールドカップのことからスタートしよう。私自身は、スポーツは詳しくはないが、居間のテレビは夫と娘に乗っ取られてしまい、...
百万本清 1・音もなくどこに消えゆく流れ星 いづこに消ゆる 2・冬晴れのカフェに遊ぶやドッグラン 3・やつぱり筆で書けよと冬だより 4・白菊に月光冴えて無音なり ◎ 5・乱菊の道へ乱れて歩くのみ
「千夜千句」の次は「あしたの風」と決めてはいるが、「さあ書くぞ!」「毎日書くぞ!」というまでには体調が戻ってきていない。やっぱり疲れていたのだろう。 私の誕生した11月は秋晴れの日が多い。 数日前、犬のノエルを連れ...
「千夜千句」が終わりそうな第九百九十九夜の頃であった。この日、長い友人から国立能楽堂のお能のお誘いをいただいた。 「千夜千句」のことには何も触れず、千駄ヶ谷の駅から銀杏並木道を歩いて、能楽堂の苑内に入った。少し早...
千夜千句の次は、「あしたの風」として気持も新たに俳句のブログ Miho Haiku Note 1 として記事をつづけてまいる予定です! 「千夜千句」は、11月10日のわたしの喜寿の誕生日を目標にして綴ってまいりまし...
ブログ「千夜千句」の第千夜は、私の俳句のはじまりの頃のお話をしておこうと思う。当時住んでいた練馬区谷原の家からは車で10分もかからない場所の都営地下鉄大江戸線「光が丘駅」に、練馬区最大級の大型ショッピングセンターima...
「千夜千句」も、あと2夜となった。俳句の入口は、荒木清の知り合いの「炎環」主宰の石寒太さんであり、句会の二次会の酒席であった。百万本清は夜な夜な飲んでばかりの印象であったが、終に、俳句の道へ引かれていった。もう40年以...
遠山さんは、夫にとっては長崎で知り合った信頼する友であり、私にとっても心優しい兄貴でいてくれた方である。 趣味は連句と俳句。荒木清との付き合いから、守谷市の「円穹」句会にもずっと長崎から投句してくれていたが、有馬朗人...
毎日のようにブログ「千夜千句」を綴っていると、次に何を書こうかしらと、本棚の句集を探し回っている。ある日、導かれるように句集『冬椿』と目が合った私は、そのまま階下の廊下で立ち読みをしていた。 数日後のこと、不思議...
星川和子さんは、平成17年(2005)にスタートした「円穹」俳句会の当初からのメンバーのお一人である。口数の少ない方で、どなたの知り合いであったのか知ったのは大分後のことであった。 「円穹」では、年に数回ほど茨城県南...
片山丹波さんは、前回の第九百九十四夜で紹介させていただいた片山和子さんのご主人である。 今宵は、丹波さんの男っぽい作品の中にある繊細さを紹介してみよう。 ■ 石鎚山の冬天衝くやシベリウス (いしづちの とうてん...
今日ご紹介するのは、杉並区の八成小学校以来の友人である。その頃から頭のよい人で、もう一人の平田さんと競っていたことを思い出す。片山さんのお母様が教育に熱心であったことは、勉強部屋が個室ではなく、長い廊下に兄弟姉妹の机が...
ブログ「千夜千句」は、日々、昔を思いながらの長い旅に出てしまっているようなものである。今宵、ふっと「老」の作品鑑賞をしたいと思った。 そうだった。出版社「蝸牛社」を立ち上げて数年後の40年ほど前に、「秀句三五〇選シ...
茨城県はレンコンが全国一位という産地である。勝又洋子さんをお連れして土浦の蓮根掘を見に行ったことがあるが、随分と昔のことで、深見けん二先生の「花鳥来」に入会して間もなくだったと記憶している。俳句は、まず「見ること」が第...
いよいよあと10日で千夜となる。あと10の文章しか書けないとなると、あのことも、あの句も、あの人のことも、まだ書いていない!・・と、気持ちが激流となって押し寄せてくる。 俳人には俳句には季語がある。大切な・・大きな季...
ケーキ好きな娘は、守谷市のケーキ屋さんで自分の誕生日のケーキを自ら選んで買ってきた。 「一個600円もしたのよ!」と言いながら、「無花果(イチジク)」ケーキが3個入った包みを開けて見せてくれた。 「あらあ・・美味し...
一昨夜は10月8日で見事な十三夜の月を見た。昨夜は夕方近くから土砂降りとなり、今宵の10月10日は、午後には晴れてきた。夕方の散歩では大きな月が地平に赤く見え、夜の散歩に出たときには月は真上にのぼっていて、願った通りの...
小学校では夏休みの宿題は、問題集を一冊仕上げることと、他に一つ自分で決めた自由研究があった。私が自由研究で何を提出したのかおぼろげであるが、記憶に残っているのは、ある年はカブトムシやクワガタ、ある年は蝶や蛾の標本を針で...
夫が畑作りに夢中になっていた頃、通り道になっている畑の片側にトウモロコシを柵のようにして植えていた。時には、実がなって良い具合に茎から飛び出た形になると、ポキっと折っていく人もいたようだ。明日の朝あたりに収穫して、女房...
晴れた日の秋の夜空は、虫と蟬たちの賑やかな鳴き声と星々の煌めきが、うつくしいハーモニーを奏でているかのようだ! 犬のノエルが近づくと虫たちは、はたと鳴き止み、通り過ぎると再び順に鳴きはじめる。そこには「間」があって、順...
小学校時代に住んでいた杉並区下井草の家も、中学・高校・大学時代まで住んでいた練馬区石神井公園の家にも、柿の木は一本あった。柿の甘さを特に思い出すこともないので、渋柿だったかもしれない。母でなく祖母が、軒下に2個ずつ紐を...
長崎市の松山公園の向かい側にある私立活水高等学校で、英語教師を4年間していた。長崎市は東京と比べると気温が高い。1学期が終わり夏休みが終わり・・2学期の初日のことだった。 大学時代は2学期の初めには、秋の装いを取り入...
1938年9月28日、豪華客船クイーン・エリザベス号がイギリスのグラスゴーで起工した。クイーン・エリザベス2世号は豪華客船。1969年に就航し、主に大西洋横断クルーズや世界一周クルーズを行い、日本にも何回か寄港したこと...
今年の9月は、2つの「国葬」があった。1つは9月19日、イギリスのウェストミンスター寺院で行われた、エリザベス女王の国葬。もう1つは、9月27日午後2時に武道館で行われた日本の元首相であった安倍晋三の国葬である。国葬を...
まんじゅしゃげ 斎藤茂吉 曼珠沙華は、紅い花が群生して、列をなして咲くことが多いので特に具合の好いものである。一体この花は、青い葉が無くて、茎の上にずぼりと紅い特有の花を付けているので、渋味とか寂びと...
烏瓜の花をじっくりと観ることができたのは、茨城県取手市に移転してからのことである。車ですこし北上すると、牛久沼があり、沼の周りを車で走ると、沼を見下ろす高台に小川芋銭居がある。「ホトトギス」主宰である高浜虚子の最晩年の...
9月19日は敬老の日であった。敬老日の句を我が身の句として詠んでみたくなる歳になってしまった。「千夜千句」のゴールを11月10日の我が誕生日と目標を立てていたが、順調に進めば10月半ば・・千日業は、すこし早めに終えそう...
昨夜の8時からの実況中継では、ウェストミンスター寺院で行われた英エリザベス女王の国葬に、テレビの前の私たちもイギリスでの国葬と同時間に立ち会っているように感じることができた。 卒業した青山学院の高等部では毎日、全...
そういえば、このところ大きな台風は守谷市には来ていない。近くには大河の利根川が流れているが、現在は、堤防もしっかり出来上がっている。この地に住むようになってからのことなので、7、8年ほどである。 7年前の2015年9...
父が庭に植えていた「ひまわり」は、大きく育った。家の向かい側の井草教会の日曜日の礼拝の帰りがけの人たちが垣根に近寄っては父によく話しかけていた。ツツジの垣根の内側には、いろいろな花が植えてあったが、夏には背高の向日葵が...
丁度一年前の第六百七十一夜の「千夜千句」を読み返してみると、昨日の9月15日は深見けん二先生の命日であった。先生が亡くなられた日の翌日の16日、私は仕事を抜け出して、車を走らせ、一人で曼珠沙華の寺として有名な、常総市に...
9月14日は、漫画家の赤塚不二夫が生まれた日。誕生日である。赤塚不二夫は、漫画作品からも、生き方からも、命日を記すよりも、オギャーと元気よく生まれたであろうと想像したいから、誕生日がよく似合う。 「トキワ壮」は、...
今宵は、「菊」の作品を見てみよう。 ■ 百丈の断崖を見ず野菊見る 高浜虚子 『六百五十句』 (ひゃくじょうの だんがいをみず のぎくみる) たかはま・きょし 掲句は、虚子が福井県三国に住む森田愛子を訪れ...
9月11日から「大相撲九月場所」が始まっている。今日は三日目。 思い出すことがある。新聞社に勤めていた父が会社から帰るなり、「ミホ、日曜日の最終日の相撲のチケットを2枚もらったたから一緒に行こう。土俵際の一等席だぞ!...
練馬区石神井公園駅を降りて10分ほどで、石神井公園に着く。公園沿いに西へゆき、通りを超えると三宝寺池である。さらに三宝寺池の脇道を上ってゆくと、池と同じ名の寺院・三宝寺がある。正確には、真言宗智山派亀頂山蜜乗院三寶寺。...
第九百六十八夜の、大学Ⅰ年の音声学(フォネティックス)の授業での老教授の林檎の話のつづきをしておこう。もしかしたら「千夜千句」も3年目が近くなっているので、林檎の季節のときに、老教授の話した女の子と男の子の小さなラブ・...
7月ぐらいから、川原などに咲いているのを見かけるが、撫子は秋の七草の1つである。山上憶良が『万葉集』巻八で詠んだ二首の歌から、春の七草(七種とも表記する)とともに、秋の七草がある。 春の七草は、せり、なずな、ごぎょう...
大学Ⅰ年の音声学(フォネティックス)の時間のこと。確か、老教授であった。まずは、ア、エ、イ、ヲ、エ、オ、ア、ウと・・発音の練習を教授の言う通りに、私たちは声を揃えて、大きな声で発音の練習を繰り返していた。18歳の女の子...
毎日の犬のノエルの夜の散歩は私の担当で、8時前後の30分ほど。近所の数軒先の片側には空地と雑木林が広がっていて、月と星の観測地点でもある・・と言えばかっこいいけれど・・守谷の夜空でよく見える星座は、ぼわんと見える天の川...
伊丹啓子さんから、2022年8月22日に発行された第3句集『あきる野』をご贈呈いただいた。啓子さんは、私どもが出版社蝸牛社を経営していた時代に、俳句・背景シリーズ㉑『愛坊主』の著者として参加くださった。 句集『あきる...
大正12年(1923)9月1日11時58分32秒、関東大震災が起きた。 関東大震災の夜 野尻抱影 (略)何年生きていてもこんな凄愴(せいそう)な、悪夢のような光景を見られるものでないとは、誰でも考えたこと...
歳時記を見ると、「秋の夜」と「夜の秋」と似ているような季語がある。俳句を詠む時には全体の調べも大切なので、うっかり間違えてしまうことがある。間違えるのは、「秋」の文字が含まれているために2つとも秋の季語だと思ってしまう...
このところ赤とんぼを見ていないように思う。東京の練馬区に住んでいた頃、私の吟行の場であった光が丘公園の一番奥まで、よく犬を連れて散歩していた。 ある日、午後の夕方近い時間帯であったと思うが、赤とんぼの一連隊に出合った...
夏休みの終わりに近づくと、小学生だった頃の年子の娘と息子を思い出す。問題は、親の言うことを聞く素直な子であるか否かではなく、夏休みの長さと勉強時間の長さを自分自身で考えて、計画的に実行できるかどうかであろう。 と、今...
昨夜の8月27日、全国花火競技大会「大曲の花火」が秋田県大仙市で行われた。久しぶりにテレビで観た今年の花火の色彩の美しさに、ことに感動した。 以前は、赤や青や緑が多かったが、今年観た花火は、じつに柔らかなソフィスティ...
流星とか流星群とか、興味をもって夜の高速道を走って、秩父まで出かけたのは、俳句をはじめてからであった。何でも自分の目で確かめなくちゃ、と思うようになったのは、深見けん二先生の「花鳥来」の一員になってからである。 ...
夫の父の後妻となった母は、長崎県島原市役所に女学校卒業後に勤めていた。亡くなって久しくなったが、確か、大きな商家の娘であったと覚えている。 朝の仏壇の勤行や、親戚付き合いのこまごましたことなど、じつにきっちりしていた...
「千夜千句」に到達するまで、あと40日余りになった。残暑厳しき折なのにと、言い訳したくなりそうな連日である。だが、もう40日余りまで迫ったのだ。目標は、11月10日に喜寿となるわが誕生日までに達成することである。 ...
犬連れでよくドライブしたのは、黒ラブ1号のオペラであった。利口な犬で、家族の心の動きも読んで行動していたように思う。13歳の夏のこと、寿命であったかのように一夏の日々をすこしずつ弱り、出来ないことが増え、8月24日の明...
八月の夏で思い出すことといったら、夫が長崎東高校で教員をしていた当時の教え子たち・・クラスの子ではなく、もっぱら軟式テニス部の顧問であった頃の子たちが、夏休みに、東京に住むようになった私たちの2部屋のアパートに大勢で遊...
「千夜千句」も第九百五十五夜となった。「千夜」まで、あと一息というところまで来ているのだが、夏バテ状態となりパソコンに向かう時間は長く、パソコンに文字は埋まらない時間が流れ、悶々した時間だけが過ぎている。 「千夜千句...