第四十七夜 「紫陽花(あじさい)」の句

 ちょうど今、わが家の玄関脇の小庭の紫陽花が大きな毬も小さな毬も咲きはじめている。花を植えるのも育てるのも花器や花瓶に活けるために伐ってくるのも全て夫がこまめにしてくれる。ご近所では奥様がしているのに・・なんという奥様だろうと思われているのだろうなあ! 
 でも花器を買うのは好きだから、私の役目! 土器もガラス器も一応、揃ってはいるが、お客様の時だけ登場する。だんだん出したり片付けたりが面倒で無精になっているのは歳のせいもあるのだろうか!
 今朝も、夫は新しい一枝の紫陽花を伐ってガラス器に塩梅よく挿していた。

■今宵は「紫陽花」の作品を紹介しよう!

1・紫陽花に秋冷いたる信濃かな  杉田久女
(あじさいに しゅうれいいたる しなのかな) すぎた・ひさじょ

 『杉田久女句集』所収。「ホトトギス」掲句の初出は「ホトトギス」大正9年11月号。久女の父赤堀廉蔵の埋骨式のために松本に赴いたときの作であるという。久女は師の高浜虚子への手紙の中で、「信濃あぢさゐは実に美しく、王朝の婦人のやうな花。私は七色に変化する薄紅、薄紫は好きませぬが、信濃松本で見た碧紫のあぢさゐは宝石の如く美しうございました」と書いている。

 今から15年前の初秋、私は、松本の赤堀家の墓所の四基並んだ一番奥の久女の墓に佇むことができた。植物細密画家の野村陽子さんの『細密画で楽しむ 里山の草花100』の出版の打合せに長野県清里のご自宅に伺った日の翌日、お願いして松本市城山にある杉田久女の父赤堀家の墓所へ車で連れて行っていただいたのだ。杉木立に囲まれた墓所の入口に「久女の墓」の立札があった。
 墓所に入った私たちは、中段辺りに建てられた小振りで品の良い黒御影石の墓碑の「久女の墓」と刻まれた高浜虚子の文字を眺めながら、秋の日差しの中で暫く佇んでいた。
 虚子と確執のあった久女であったが、久女が亡くなったときには久女の娘の石昌子が虚子の弟子として母を葬ってあげたかったのであろう、虚子先生に墓碑銘をお願いすると願いは叶えられた。こうして久女の黒御影石の墓碑には師であった虚子の文字が刻まれたのであった。
 私たちは久女の墓地を探すことに夢中で、供華を準備してゆくことをすっかり忘れていた。久女の墓前には花束が置かれていたが、大分前のことだったのだろう、すっかり枯れていた。私たちはせめてとの思いを込めて手を合わせた。