第三十三夜 司解井司の句集『練馬野』

 東京外国語大学露文科を卒業した父の本棚はロシア文学全集で占められ、子の私にも読んで欲しかったのであろう、少年少女文学全集のトルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーの書も揃えてくれていた。
 小学校時代、4年5年の担任の久田芳先生の授業では、読書感想文の宿題を発表する時間があった。私は、大好きであったトルストイの童話集『イワンの馬鹿』から選んだ1編の小品を教室で読み上げて感想を話した。久田先生が「いいお話だね。」と褒めてくださったことが今でも嬉しく思い出される。
 
 トルストイの『イワンの馬鹿』のあらすじはこうだ。
 イワンには2人の賢い兄がいる。1番末の弟のイワンは、ぶきっちょであるがゆえに、地道に自分の手と足で働くことしか知らない。小器用に立ち回ることのできないイワンはいつも馬鹿にされていて、兄たちからも周りの者たちからもイワンは「馬鹿のイワン」と呼ばれていた。
 その「馬鹿のイワン」が、兄からも悪魔達からも迫害をされつつ、最後には悪魔との戦いに勝つというあらすじである。ワンパターンの結末ようにも感じられる童話だが、そこがイワンが「イワンの馬鹿」と呼ばれる所以であった。
 トルストイには『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など代表作が多い。どの作品も長編小説でナポレオン戦争の時代を背景に当時の貴族社会の没落してゆく姿を華麗に描いている。今、『アンナ・カレーニナ』の毅然とした姿の美しさを思い出した。
 
 ツルゲーネフは、高校時代に『貴族の巣』『初恋』『その前夜』『父と子』など纏めて読んだ記憶がある。トルストイの作品ほど長編ではなく、没落してゆく貴族の姿がより華麗に描かれていて、ロシアの森や林・・自然の美しさをバックにしたツルゲーネフのラブストーリーを読んでは、一方的な初恋はあっても恋人はいなかった高校生の私は主人公の恋に憧れて恋に恋していた時期であった。
 
 ドストエフスキーは、フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキーのことで、ロシア帝国の小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』など。
 『罪と罰』を詠み込んでみたのが次の句である。主人公は、学費滞納のために大学を除籍されたラスコーリニコフ。冒頭の、金貸しの老婆を殺害してしまった箇所がことに印象的であった。

  鳥雲にまた読みはじむ『罪と罰』  あらきみほ 『ガレの壺』平成5年作
 (とりくもに またよみはじむ つみとばつ)

■今宵は、あらきみほの父、生涯プロレタリアートであった司解井司(本名・重石正己))の句を読み返してみよう。

  ソ連失せイワンの馬鹿のふところ手  司解井司『練馬野』
 (それんうせ イワンのばかの ふところで) しげい・つかさ

 今宵のブログの書き出しを、帝政ロシアの作家トルストイの「イワンの馬鹿」としたのは、父の俳句を紹介するためでもあった。
 父の句集の前書きは、「炎環」主宰の石寒太先生が「年輪の襞ーー句集『練馬野』の世界」と題してお書きくださった。一部を紹介させていただこう。
 「司解井司さんが句会に見えなくなって久しい。淋しいことである。巨体を少し屈めながら、にこやかに笑っている顔は、いつも皆の人気者である。(略)また、やたら植物にくわしい。吟行などにゆくと、婦人たちは、たちまち彼を囲んで植物の名を教わる、それが楽しみらしい。」

   老いらくの体操しなやかに枯れむ  司解井司『練馬野』
 (おいらくの たいそうし なやかにかれむ)

 父は、母の言うことをよく聞いていた。「炬燵に一日中座ってテレビばかり観ていたら運動不足になりますよ!」「お父さん、ボケたらどうするのですか?」「ほら、テレビ体操の時間ですよ!」「さあ立って、一緒に始めましょうよ!」
 母から矢継ぎ早に催促されてしぶしぶ立ち上がり、母と一緒に、オイッチニー、オイッチニーと声を出し、老いらくの体操をはじめていた。
 数日後に80歳を迎えるわが夫とは違って、当時77歳であった父は、しぶしぶ立ち上がるが、にこにこと体操を始めた。父はそのような自分を「しなやかに枯れむ」と詠んだ。良かれと思って言っている母の言葉に、わが父はじつに素直に耳を傾けていた。