第九百八十一夜 小林一茶の「白露」の句

   まんじゅしゃげ       斎藤茂吉

 曼珠沙華は、紅い花が群生して、列をなして咲くことが多いので特に具合の好いものである。一体この花は、青い葉が無くて、茎の上にずぼりと紅い特有の花を付けているので、渋味とか寂びとか幽玄とかいう、一部の日本人の好尚からいうと合わないところがある。そういう趣味からいうと、簇生(ぞくせい)している青い葉の中から、見えるか見えないくらいにあの紅い花を咲かせたいのであろうが、あの花はそんなことはせずに、冬から春にかけて青々としてあった葉を無くしてしまい、直接法に無遠慮にあの紅い花を咲かせている。そういう点が私にはいかにも愛らしい。勿体ぶりの完成でなくて、不得要領のうちに強い色を映出しているのは、寧ろ異国的であると謂うことも出来る。秋の彼岸に近づくと、日の光が地に沁み込むように寂(しず)かになって来る。この花はその頃に一番美しい。彼岸花という名のあるのはそのためである。
 この花は、死人花(しびとばな)、地獄花とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。(『斎藤茂吉全集 第六巻』岩波書店、『毎日楽しむ名文 365』あらきみほ編より)

 今宵は、小林一茶の「秋」の句を見てみよう。


  白露に浄土参りのけいこかな  一茶 句文集『志多良』
 (しらつゆに じょうどまいりの けいこかな) こばやし・いっさ

 「浄土参りのけいこ」・・うーん、参った! と言うのは、この11月10日に喜寿を迎える私は、なぜか理由もなく、「わが終末」の日になるかもしれない、心の準備をしておこうか・・俳句を始めて35年経つが、人生の総決算になるに相応しい作品が一句でも詠めてきただろうか・・再度読み返し、句集として発表してよいか考えてみよう・・など思案の日々でもある。
 
 一茶の、この作品を見つけたとき、「浄土参りのけいこ」が、なぜか私には「俳句人生の総決算のけいこ」という言葉となって、わが心に響きはじめている。

 長野県信濃町柏原に生まれた一茶は、母亡き後は祖母に育てられたが、その祖母の亡き後、継母との関係がうまくいかずに江戸で奉公生活の日々を送り、再び柏原に戻ったのは父の死後であった。晩婚で生まれた三男一女の死があり、「露の世は露の世ながらさりながら」と詠まれている。
 
 掲句は、「文化10年(1813年)、一茶51歳のときの句文集『志多良』に書き留められたものの一つだが、文中「先ンズル時ハ人ヲ制シ、後ルル時ハ人ニ制セラル」という古諺が引用されている。浄土参りの稽古をするのは、さしずめ腰の曲がった老婆の足どりあたりがふさわしいが、そこに当時としては老齢の一茶の自画像を重ねて読めばよい。「けいこかな」とは隅に置けぬとぼけた表現である。俳人であり批評家の安東次男氏の言葉である。(日本縦断『芭蕉・蕪村・一茶の旅』文春文庫より)
 
 元気な大人の、この世の寺参りは、あの世へゆく時の練習となりますよ、とでも云っているような詠み方である。
 この句には、他の人にはとても真似できない痛快さがあって、逆に説得力すら感じさせてくれるようだ。