第二百八夜 藤木倶子の「雪握る」の句

 もう30年近く前になるかもしれない。ある結社の祝賀パーティーで藤木倶子さんは、「次に東京へ来たときにはお会いしましょう。」と夫に言い、ひと月後にお電話があったので、私も一緒にホテルのロビーでお会いした。そのときに戴いたのが、貝殻を三つ。「蝸牛社とかたつむり・・」と、テーブルの上に並べながら、「この貝殻、ほら、かたつむりに見えるでしょう?」と、仰有った。
 とても印象的な出会いであった。藤木倶子さんは、〈まなうらに夜の渚あり桜貝〉の作品もあり、日本貝類学会会員で大の貝好きであることも知った。三つの貝殻は今、食器棚の、お気に入りのコーヒーカップたちに囲まれている。

 『自註現代俳句シリーズ 藤木倶子集』から、作品を紹介させていただこう。

  失ひしもののなき手が雪握る 『堅香子』
  
 お住まいのある青森県八戸市は太平洋岸にあって、豪雪地帯というわけではないが、〈えんぶりや雪止んでなほ雪催〉〈細雪逢へばひとつの事終る〉などの雪の作品がある。
 「自分のものは何一つ失わず、人の持っているものを欲しいと思う。そんな思いが、逆に自分の一番大切なものを失っているのでは・・・と思った。」と、自註に書いてある。
 「失ひしもののなき手」を考えてみた。
 この自註からも、一度お目にかかったお姿からも、恵まれた方であると感じた。藤木倶子さんは、これまで願ってきたことで大事なことで叶わなかったことはなかったことを、ご自身も分かっているからこその措辞であろう。
 だが、大好きな雪を握ったとき手の雪は解けた。初めて、失ったもののあることに気づいた。

  暮るるより薄氷が消す山の翳 『雁供養』

 中七の「薄氷が消す」が、この作品の眼目。早春の十和田湖の景だという。自註には、「夕方何かが走るように湖の表面が動き、山の翳を消してゆく。それは、湖の表面が凍ってゆく姿であった。」とある。
 なんと素晴らしい自註だろう。都会で見る薄氷は、こうした現象は真夜中から夜明けの誰も見ていない時間帯の出来事あるから。

  憑きもののごとくに跳ねてねぶたなり 『狐火』

 ねぶた祭りは、大きな灯籠を引き回し、その前後に跳人(はねと)と呼ばれる躍り手がいる。踊の型があるわけではなく、喜びを爆発させるような、憑きものがついているような、そんな跳ね方であるという。藤木倶子さんも、ある年、揃いの衣装を着て跳ねた。ねぶたは、北国のエネルギー爆発の夜である。

 藤木倶子(ふじき・ともこ)は、昭和6年(1931)ー昭和30年(2018)、八戸市生まれ。昭和53年、「泉」、後の「林」に入会し、主宰の小林康治に師事。平成5年、俳誌「たかんな」を創刊主宰。日本貝類学会会員、ソロプチミスト八戸会長。句集は、『堅香子』『雁供養』『狐火』『竹窗』『栽竹』『火を蔵す』『淅淅』『清韻』『無礙の空』『星辰』『星辰以後』、 著作は、『私の歳時記・貝の歳時記』『恋北京ー旅のこころ・季のこころ』ほか。

 今宵の「千夜千句」を、藤木倶子さんと決めて、句集を読み、新しい情報を得ようとネットを開けると、「2018年11月8日、呼吸器不全による死去。87歳。」が飛び込んだ。当時50歳代の美しい笑顔が過ぎった。