第二百九夜 檜 紀代の「埋火」の句

 今宵は、檜紀代さんの『花は根に』から紹介させていたくことにする。本書は、蝸牛社の「俳句・背景」シリーズの14人目。33のテーマによる俳句と随筆のコラボレーションの中で、心の内を他人には覗かせないという作家もいれば、間近まで迫ってくれる作家もいる、全く関係ないことを語りつづけた作家もいた。
 理知的な作品作りをされる檜紀代さんは、どのようなお喋りであったろうか。
 
 鑑賞を試みてみよう。

  埋火や黙りこくるも嘘のうち 『花は根に』

 「埋火(うずみび)」は、灰の中に埋められた炭火。灰をかけたり外したりして火の強さを加減するものであるが、火種を灰で覆い隠すことは、本心を明かさずに黙りこくっているようでもある。言いたくない場合、告げない方がよい場合など、黙っていることは嘘のうちとも言える。
 晩年の母の病状を、老齢の父には告げなかった時の作品であるという。

  生きのこる舟虫ノアの洪水以後

 この作品は「ノアの方舟」のことで、『旧約聖書』の「創世記」の話。神は人間をお造りになったのに、人類は罪深い方へと進んでゆく。見かねて、神は人類を絶滅させることにした。その際に、よい人間のノアと家族、色々な種類の動物たちの番(つがい)を、大きな方舟に乗せて、大洪水を起こした。
 さて、何千年もの昔のノアの方舟に、生き残った舟虫など果たしているのかどうかだが、これは俳句である。
 檜紀代は、子ども時代から読書が好きで、『源氏物語』『とはずがたり』『聖書物語』など、誰でも「あ、あの本!」と分かってくれる内容や人名を俳句の読み込むことがある、という。
 「読書は想像力を高めてくれます。想像力は俳句をするには欠かせないことです。」と本著の背景に書いた。

  露に寝るサリーに弟をつつみ
  
 「天狼」の諸先輩と同行したインド旅行では、サルナートのブッダを拝することができた。ここは、釈迦が悟りを開いた後、鹿が多く住む林「鹿野苑」の中で初めて教えを説いた地である。私は、〈祇園精舎跡の夏草なびくのみ〉など5句の中の、小さなインド人を詠んだ作品に惹かれた。
 インドの大部分は、蒸し暑く、貧しい人たちの多い国である。路上で寝ているのは姉と弟。姉は自分のサリーの裾で弟をつつんで夜露に濡れないようにしている。「露に寝る」姿は哀れではあるが、幼いころから助け合って生きている姉と弟は、いつの日か、思いやりの心をもった大人へと成長する筈だ。

  天安門広場と秋の天対す

 俳人協会主催の中国旅行に参加した折の句。かつて観た映画、「ラストエンペラー」の大スクリーンの天安門広場や紫禁城には目を瞠ったものだ。「天安門広場」と「秋の天」を対比させた、力技を凄いと思った。この2つの広大さ、深さ、果てしなさを表現するのに、檜紀代さんは「対す」の動詞を1つ置いた。これで十分であった。

 檜紀代(ひのき・きよ)は、昭和12年(1937)東京生まれ。昭和41年、鷹羽狩行に師事し、昭和53年、「狩」創刊とともに入会、翌年に同人。昭和56年、第一句集『呼子石』にて俳人協会新人賞を受賞。昭和59年、第二句集『星しるべ』上梓。平成2年、月刊誌「遠矢」創刊。平成9年、著書『俳句・背景14 花は根に』蝸牛社刊。