第四百四十七夜 河東碧梧桐の「秋空だ」の句

 今日2月1日は、河東碧梧桐の忌日である。
 平成4年(1992)、蝸牛社より滝井孝作監修・栗田靖編『碧梧桐全句集』を刊行した。大きなダンボール箱に瀧井孝作が出版の準備を整えてあった手書きの原稿は、娘の版画家小町谷新子さんを通して蝸牛社から出版をすることになった。

 碧梧桐は、明治39年、「三千里」と呼ばれる第一次全国旅行をスタートした。旅行中は地方の俳人たちと句会をし、新聞「日本及び日本人」の俳句欄の選をし、「一日一信」を新聞社へ送った。明治44年の第二次全国旅行では、瀧井孝作の住む飛騨高山にも立ち寄り、少年であった瀧井孝作が碧梧桐の句会に出席したことが、俳縁になったという。

 30年前のことで、あの膨大な原稿をどのようにして出版までこぎつけたか思い出すことができない。その後、高浜虚子の晩年の愛弟子の深見けん二師の元で俳句の道を進みはじめている私が、正岡子規の弟子の双璧(虚子と碧梧桐)に関わることが出来たことは、今になってみると、大切なものを頂いたように感じている。
 
 久しぶりに『碧梧桐全句集』に目を通した。その後、栗田靖編著『蝸牛俳句文庫 河東碧梧桐』も読み返した。こちらは主要な300句に鑑賞が付いている。
 
 今宵は、河東碧梧桐の変化してゆく折々の作品を紹介してみよう。
 
  赤い椿白い椿と落ちにけり  『新俳句』
 (あかいつばき しろいつばきと おちにけり) 

 句意は、赤椿の落花、白椿の落花であろう。ただそれだけを淡々と詠んでいる。
 明治29年の作。師の正岡子規は、「明治二十九年の俳諧」(日本人)に、「只紅白二団の花を眼前に観るが如く感ずる」「印象明瞭」な句とし、写生論の一つも実りとして高く評価した。【椿・春】
 
  思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇  『新傾向句集』
 (おもわずも ひよこうまれぬ ふゆぞうび)  

 明治39年、第一次全国旅行の仙台での作品。この作品が新聞に発表されると、大須賀乙字は、冬薔薇が咲き、思いがけずヒヨコが生まれるという一見関係なさそうな2つの事柄を配合して日和つづきの冬の陽気を暗示した句であるとし、これを「新傾向」であると指摘した。【冬薔薇・冬】
 
 さらに、明治42年から第二次全国旅行が始まった。この旅で碧梧桐は「無中心論」を説いた。旅の様子は、毎日のように新聞に掲載されるので、碧梧桐のファンは増え、新傾向俳句も勢力を増していった。明治44年、「続三千里」が終了すると同時に、新傾向運動の俳誌「層雲」が、荻原井泉水の発行編集で創刊された。
 大正4年刊の『新傾向句集』は、明治39年から大正3年までの新傾向運動が最も盛んなころの作品が入集された句集である。同年、碧梧桐は、中塚一碧楼、塩谷鵜平、大須賀乙字らと共に俳誌「海紅」を創刊する。
 
 正岡子規の没後、「ホトトギス」の俳句は碧梧桐に任せて、虚子は小説家に向かって進んでいたが、俳句が正岡子規の残したものから離れてゆくのを感じて、「ホトトギス」を一新すべく雑詠欄を設け「守旧派」と称して、碧梧桐の「新傾向俳句」に猛反撃してゆく。
 
  曳かれる牛がずつと見廻した秋空だ  『八年間』
 (ひかれるうしが ずっとみまわした あきぞらだ)  

 句意は、人間に曳かれてゆく牛が、十字路で立ち止まり辺りを見廻している。牛は、この秋空をすがすがしいと感じているのだろうか、となろうか。

 「曳かれる牛」から、牛は屠殺場へ曳かれていくのだろうかと思った。「ずつと見廻した秋空だ」からは、物言わぬ牛だが、立ち止まり秋の空をずっと見廻して姿には、どこか不安と哀しさが漂っている。
 大正7年の作。『八年間』は、俳誌「海紅」に載せた大正4年より11年まで約8年間に詠んだ作品を収めたもの。『新傾向句集』の次ぎ、定型・季語からはなれた自由律俳句であり、碧梧桐の説く「無中心」も感じさせる。【秋空・秋】
 
 句集『八年間』のあと、「碧」「三昧」でさらに句風を変え、最後はルビ俳句も試みている。
 昭和8年2月、銀座花月で還暦祝賀会をした後、「俳壇を去る言葉」を「日本及び日本人」に発表。1月30日に腸チフスの疑いで入院するも、2月1日、敗血症を併発して永眠。法名碧梧桐居士。
 
 高浜虚子の追悼句である。
 
    碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり
  たとふれば独楽のはぢける如くなり  虚子
 
 栗田靖(くりた・やすし)は、昭和12年(1937)、旧満州国ハイラルに生まれる。俳人、俳句研究者。本名は靖(きよし)と読む。実作者としては栗田やすしの俳号を用いている。著書に『子規と碧梧桐』『山口誓子』『河東碧梧桐の基礎的研究』など多数。編著に『碧梧桐全句集』。句集に『伊吹嶺』『遠方』『霜華』『海光』などがある。2000年『河東碧梧桐の基礎的研究』で第15回俳人協会評論賞、2009年句集『海光』で第49回俳人協会賞受賞。俳人協会常務理事、国際俳句交流協会監事、中日俳壇選者。