第五百八夜 鈴木詮子の「ふらここ」の句

 春の音ってどんなものがあるだろうか、歳時記で調べてみた。北国に住む人だったら「雪解け水の音」と答えるかもしれない。茨城県南も街を外れると筑波山が見えて田んぼが広がっている。「畑打ちの音」とか「耕運機の音」と答える人もいるかもしれない。日本で第2位のお米の産地だそうである。
 東京に住んでいた時は、仕事で都心に出かけると、通勤の若い女性がブーツでなくハイヒールになって、コツコツと清々しい音を立てていたことが浮かんでくる。
 
 「歳時記」「季寄せ」を開いてみると、音が詠み込まれた作品の季題が案外に多く見つかった。その中で、惹かれたのが鈴木詮子の〈ふらここのきりこきりこときんぽうげ〉であった。
 「ふらここ」はぶらんこのこと。季題は「鞦韆」である。
 
 今宵は、「春の音」をきっかけに鈴木詮子の作品を紹介してみよう。
 
  ふらここのきりこきりこときんぽうげ  『蝸牛 新季寄せ』
 (ふらここの きりこきりこと きんぽうげ)

 句意は、幼い子どもがブランコを漕いでいる。前に漕ぐたびに、後ろへ引くたびに、ブランコは「きりこきりこ」と鎖の擦れる音が響いています。公園のブランコの辺りには黄色いキンポウゲの花が咲き揺れていましたよ、となろうか。
 
 蝸牛社で編集担当をしていた私は、『蝸牛 新季寄せ』の季題に例句を嵌めていく仕事がたのしくて仕方なかった。見事に「カチッ」と嵌ったときの嬉しさと言ったらなかった。俳句文学館に通い、書き留め、選び、決定する夜などは時間がいくらあっても足りないほどの日々であった。
 俳句を詠むために、1番の座右の書はこの『蝸牛 新季寄せ』だ。私にとっては、季題に嵌めた作品だけでなく、背後には集めた膨大な例句があったことを覚えているので、豊かになれるのだと思う。
 
 掲句を「鞦韆(しゅうせん)=ぶらんこ」に嵌めたとき、嵌め得たとき、やったー! と感じた。
 不思議な句、意味はないように思える。だが、映像として見えてきた。ぶらんこの軋む音が果てしなく響いてくる。
 オノマトペということは詳しくは知らなかったが、アルファベットの「母音」や「子音」の「音」は気になる。
 
 furakoko no kiriko kiriko to kinpouge(ローマ字)
 
 子音の「k」は7個。母音の「o」も7個。これらが作品の音の基本になっていると考えていいのではないだろうか。
 
 ふらここのきりこきりこときんぽうげ(平仮名)
 
 「こ」の音が4個、「き」の音が3個。これらが微秒に響き合っている。ぶらんこの揺れる音になり、揺れる音の「きりこ」は「きんぽうげ」の花の黄色によって明るいやさしい響きを膨らませてくれているのだ。
 
 17文字のすべてを平仮名にしたことで、文字から意味を完全に消してしまったとは言わないが、意味を考えなくても、音の響きだけでこれほどの悠久の時空を描くことができる。なんて素敵な韻文であろう。
 幼い子どもが、いつまでもいつまでもぶらんこを漕ぐことを止めないのは、こうした喜びをとうに知っていたからにちがいない。
 
 この作品のポイントは、ぶらんこの揺れを「きりこきりこ」と捉えたところにはじまったのである。
 
 鈴木詮子(すずき・せんし)は、大正13年(1924)-平成9年(1997)、東京生まれ。東大経済学部卒。昭和28年、「雲母」青湖会に拠り、石原八束に兄事。昭和36年「秋」創刊に同人参加。第18回現代俳句協会賞受賞。