第五百七夜 山口青邨の「花つむじ」の句

 今朝も、桜街道を走った。満開の桜は風が吹くたびに花吹雪となる。そうした中に少しずつ葉芽(ようが)から葉となって緑色が覗きはじめている。白っぽい桃色一色の軽やかさを見せていた桜の樹々は、ほんの僅かな変化にもどことなく重さが感じられる。
 
 『山口青邨季題別全句集』から、「花」の作品を選んでみた。

 山口青邨は、「ホトトギス」に文章は投稿していたが、俳句は大正11年、青邨30歳の時に虚子に声をかけられ、秋櫻子、風生、誓子等と共に東大俳句会で学ぶことからのスタートであった。昭和5年、俳誌「夏草」を盛岡市で創刊、主宰する。
 昭和63年に青邨が亡くなり、没後の1年後の平成元年、「夏草」から幾つかの結社が立ち上がった。その1つが深見けん二主宰の「花鳥来」である。花鳥来会員は、けん二先生の師である高浜虚子と山口青邨の俳句を学んできているので、私も、虚子の孫弟子であり青邨の孫弟子でもある。

 今宵は、「花」の作品から虚子忌での句と美の世界の句を考えてみようと思う。

  花つむじみそなはす師の俤を  『不老』 昭和41年作
 (はなつむじ みそなわすしの おもかげを)

 句意は、 一陣の風に舞い上がる「花つむじ」の中に、人の形が見えるように思うことがあるが、花吹雪が師の虚子の姿に見えたのですよ、となろうか。

 「花つむじ」は花吹雪のことであろう。時に激しく落花の塊となって舞うことがある。 昭和34年4月8日、虚子が亡くなり、鎌倉寿福寺で毎年修される虚子忌には、ホトトギス同人会会長の青邨は欠かさず出席した。この日はちょうど花季でもあるので年々の桜の句がある。
 「みそなはす」は、「みそなう=見る}の尊敬語。花つむじが、虚子の俤となって見えたということを「みそなはす」と尊敬語で詠んだのである。
 
  師にまひらす句なり花衣恋衣  『薔薇窓』 昭和37年作。
 (しにまいらすくなり はなごろもこいごろも)

 句意は、亡くなられた師虚子に献上する句ですよ、花衣恋衣など虚子先生は艶な句を作っていらっしゃいましたね、となろうか。
 
 「花衣恋衣」は、たとえば『五百句』の第1句目の〈春雨の衣桁に重し恋衣〉などのように、艶な句をよく作られた虚子を想っての句である。掲句句も、虚子忌での作品である。
 
  花屑をすくひては撒く狂へるか  『日は永し』 昭和60年作。
 (はなくずを すくいてはまく くるえるか)

 句意は、散り敷かれた花屑をすくい取っては、花咲爺さんのようにぱあっと撒いてみたい・・、あるいは狂ったらそれも出来るだろうか、となろうか。

 青邨92歳の作。「狂へるか」と、自分に問うてみたが、否、沈着・冷静・観察を旨とする学者青邨にはおそらく出来ないことである。だからこそ青邨は、もう1つ滾るものを俳句という文学に求めたのだ。

  白い雲は女王のお馬車花の上  『繚亂』 昭和46年作。
 (しろいくもは じょおうのおばしゃ はなのうえ)

 句意は、あの白い雲は女王様のお馬車ですよ、ほら雲のような満開の花の上をお馬車が行きますよ、となろうか。
 
 こうした楽しい夢の世界を見せてくれるのも青邨の豊かな想像力である。青邨は、第1句集『繚亂』のあとがきに、次のように書いている。
 「百花繚乱、秋草繚乱となって、いろいろの花や秋草が乱れに乱れて咲き、散るという意味になり初めて私の求める美しさの素振りが出てくる。(略)散れば人の美感をそそるのであろう。」と。
 様式美を一瞬にして崩す「花ふぶき」、しかもその風情は何にも増して美しいという特性の「桜」の季題を詠う中に、青邨は一層自在に感情を迸らせることができたのではないだろうか。