第五百九夜 高浜虚子の「春の雲」の句

 春の晴れた日、ぽっかり浮かんだ雲が流れてゆくのを眺めるだけで楽しい。秋のうろこ雲のように春の特有の雲があるわけではないが、淡い雲だったり、赤ちゃんの柔らかなお尻を感じさせる、丸いどっしりした雲を見ることがある。
 「雲」と言えば、石井桃子の童話『ノンちゃん雲にのる』は、小学校時代に父からプレゼントしてもらって以来の愛読書。大好きで、子育てのころ、夜の読み聞かせにたびたびこの本をつかっていた。
 
 池に張り出した木に登って、池に映っている雲を眺めているうちに滑って落ちてしまったノンちゃん。池の中の雲には髭をはやしたおじいさんがいて、ノンちゃんを抱きとめてくれた。そうして、たくさんのお話を聞かせてくれた・・。
 
 「そうじゃ!」と、おじいさんはうなずきました。「そのとおり! それを忘れてはいかんのだ。謙遜というのはな、まだまだ自分はえらくないと思うこころだ。これではならない。これではならないと頭をさげるたんびに、人間は、まるで一寸法師がウチデノコヅチを打つように、ズン、ズンと大きくなる、えらくなる。それにひきかえ、おれはえらいぞ、あたしはたいしたもんだと思うたんびに、小さくちぢまる。うそじゃないぞ。」
 
 今宵は、まず高浜虚子の「春の雲」の作品を紹介しよう。

  宝石の大塊のごと春の雲  『五百五十句』
 (ほうせきの たいかいのごと はるのくも)

 句意はこうであろうか。空には白い春の雲がぽっかり浮かんでいますが、その雲はきらきら輝いて、まるで宝石の大きな塊のように見えましたよ、となろうか。
 
 昭和11年、高浜虚子は章子を連れて2月19日から6月11日までの120日間、日本郵船の箱根丸でヨーロッパ旅行をした。
 3月27日、およそ40日後にパリのマルセーユに到着し、留学中の次男友次郎と落ち合って、ともにドイツ、イギリスの旅に出る。4月19日、ベルギーのアントワープに停泊している箱根丸に立ち寄り、楠南と帰路の打ち合わせをした後、松岡夫妻、章子、友次郎等とサンフリート村へ花畑見物に出かけた。
 
 チューリップの花畑には、大きなどっしりと丸い形をした春の雲が浮かんでいた。この「春の雲」を大きな宝石のようだと感じたのだ。
 ベルギーはダイヤモンドの研磨などの宝石産業が世界一という国である。「宝石の大塊」とは、そのベルギーの春の雲を眺めていて浮かんだ言葉であろう。
 宝石の大塊のような雲。その春の雲に虚子は、10年ぶりに会った大事な息子に思いを重ねていたのか。それとも、フランスを始めとしてヨーロッパの国々に俳句の種子を蒔くという試みをしようという大志──しかも、花鳥諷詠詩という自然の四季を詠む俳句の種子である──へ思いを募らせていたのか。

 虚子は『渡仏日記』の中で、この日の「春の雲」をこんな風に描写している。
 「真青に打晴れた底深い大空に西日を受けた白い雲の大きな塊りがところどころにうづくまつて居るさまが荘厳で美しかつた。」

 もう1句、高倉和子さんの「春の雲」を紹介しよう。

  屋根の上に登りし頃の春の雲   高倉和子 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (やねのうえに のぼりしころの はるのくも)

 句意は、屋根の上に登っては空を見上げていた頃のことだが、あの時に見た春の雲は、大きくて丸くてどっしりした雲でしたよ、となろうか。
 
 まず驚くのは、屋根の上に登っていた時期があったことだ。きっと小学生の頃にお兄さんの仲間たちと一緒に登ったのであろう。屋根に寝転んで見上げると一面の空と対面だ。大きな春の雲が流れてくると、その雲と一緒に大空を流れていくように感じていたのだと思う。生涯忘れることのない壮大な春の雲にちがいない。

 高倉和子(たかくら・かずこ)は、昭和36(1961)年、福岡県生まれ。伊藤通明の「白桃」同人、柴田佐知子の「空」編集長。『男眉』に続く第2句集『夜のプール』で第5回朝日俳句新人賞受賞。