第六百七十二夜 高田風人子の「秋」の句

 高田風人子(たかだ・ふうじんし)さんは、大正15年、神奈川県生まれ。昭和19年より「ホトトギス」に入会、34年に同人。昭和63年「惜春」を創刊、主宰。
 
 高田風人子を知ったのは、私が深見けん二先生の「花鳥来」で学んでいたからであった。けん二先生は、たくさんの俳人の作品をプリントして、句会で配ってはお話を聞かせてくれた。
 その後、蝸牛社刊『蝸牛 新季寄せ』の例句として、新年に高田風人子の〈よその子を抱いて炬燵にお正月〉が例句に入れさせて頂いた。編集した私は、どの季題のどの句も印象深いのだが、「よその子」の詠い出しが大好きである。
 
 「よその子」が「よそのおじさん」の膝にひょいと抱かれる光景は、わが家の息子が2歳前くらいの頃に友人宅へ連れて行ったときに見た。友人の旦那様は私たちのクラブの先輩で、後輩も先輩も仲間のだれからも愛されていた。その家に入るや、息子はとことこと近寄って、膝にひょいと乗ったのだ。
 なんとも自然な空気感の中で大人の会話も弾んだ宵であったことをおぼえている。
 
 今宵は、『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』から高田風人子さんの作品をみてゆこう。好きな句を選び、改めて『ホトトギス巻頭句集』を調べてみると、どれも「ホトトギス」巻頭となった作品であった。

■1句目

  よその子にかこまれて秋何話そ  昭和26年4月巻頭   
 (よそのこに かこまれてあき なにはなそ) 【秋・秋】

 句意はこうであろう。たとえば散歩で公園にぶらり入ってベンチに座っていると、すでに遊んでいた子どもたちが、いつものおじさんを見つけて近寄ってきた。おじさんは子どもたちがやってくると、何かしら話しかけたり、子どもの問いに応えたりしているのであろう。さて今日は秋だ。何を話そうか。
 
 下五の「何話そ」は、解釈が案外むつかしい。
 風人子さんの写真を見ると、とても優しそうなお顔である。「ねえねえ、おじさん、今日はなにをお話してくれるの?」「そうだねえ、秋だからねえ、木の実の話でもしようか? それとも童話がいいかな?」
 もしかしたら、ポケットに来る途中で拾ったドングリとかマツボックリかもしれない。もしかしたら、「ごん狐」の童話を胸のポケットに忍ばせてきたかもしれない。「何話そ」と言ったが、よその子にかこまれることを承知のおじさんは、何かしら下準備はしている。

■2句目

  みかん黃にふと人生はあたたかし  昭和35年7月巻頭
 (みかんきに ふとじんせいは あたたかし) 【みかん・冬】

 上五の「みかん黃に」は、木に生っているみかんを見ている場合でも、みかんを1つ手にとった場合でも、あるいは室内の炬燵で家族でみかんを食べている場合でもよい。そのとき、ああミカンって黄色いなあ、と思うだろう。黄色は暖色。あったかいと感じる色である。
 
 1人でいるときも、家族でいるときも、ミカンをみんなで食べるとき、心は穏やかになり優しくなる。そうしたちょっとしたことが「人生はあたたかし」に繋がるのではないだろうか。
 「あたたか」とは特別でない何気ない日々を、普通に「ありがたい」「うれしい」のように、プラス思考ができることかもしれない。
 
■3句目

  一時間前と同じに蟻往き来  昭和50年6月巻頭
 (いちじかん まえとおなじに ありゆきく) 【蟻・夏】

 句意はこうであろうか。作者は1時間ほど前にポストまで郵便を出しに外へ出ると、蟻の行列に出合っていた。夕方になり散歩に出ると、先ほどと同じように蟻がせっせと列となって動いている。女王蟻は穴の地底の奥にいるが、働き蟻はこうして毎日のように朝から夕方まで、行ったり来たりを繰り返している。
 
 篠原梵の作品に〈蟻の列しづかに蝶をうかべたる〉がある。食糧調達係の蟻であろう、何匹かで協力して大きな蝶を捧げ持つようにして運んでいる。

 『ホトトギス巻頭句集』に、掲句の3作品の全てを見つけたので、作品の終わりに明記させて頂いた。