第六百七十三夜 深見けん二の「春満月」の句

 「花鳥来」主宰の深見けん二先生が、9月15日午後11時にご逝去されたというお知らせをいただいた。平成元年、私はNHKカルチャーセンターで先生に師事したことが俳句の初めで、「F氏の会」を経て「花鳥来」の会員となった。今年で33年目となっていた。
 
 吟行句会が基本の結社だが、仕事をしているので丸一日の例会には毎回出席というわけではなかった。欠席投句をする際には近況を添えていた。けん二先生は、欠席投句の返送の際に必ずお手紙をくださっていた。大切なアドバイスが書かれているので、閉じて保存している。時々読み返しているが、いつ読んでも有難い教えが書かれている。
 
 昨日も、ここ2年間のお手紙と選と添削を読み返していたところであった。1字の添削、原句をよりよくしてくださる最小の添削の凄さを感じた。自句の推敲の際にも、その教えは有り難く、他人の俳句の添削指導を仕事としている私にとって、肝に命じることの多さに改めて気づかされた。
 
 今宵は、深見けん二先生の慶弔贈答句(弔句と祝句)を紹介させていただこう。
 
■『雪の花』『雪の花』『花鳥来』より

  一筋の煙動かず紅葉山  『父子唱和』 虚子選初入選 昭和16年
  父の魂失せ芍薬の上に蟻  『雪の花』 父逝去 昭和31年
  父に告ぐこと囀りの墓にあり  『花鳥来』 長男俊一結婚 昭和57年
  かなしみに集ふ鎌倉梅咲いて 『花鳥来』悼 高木餅花氏 2句 昭和63年
  紅梅に日の当りゐるかなしき燈  悼 高木餅花氏 2句
 ○一刀を柩の上に冬の月  『花鳥来』s63  師山口青邨昭和63年

  一刀を柩の上に冬の月  『花鳥来』s63  師山口青邨
 (いっとうを ひつぎのうえに ふゆのつき)

 山口青邨が昭和63年12月5日に亡くなられた。96歳であった。深見けん二先生にとって青邨は、虚子の「ホトトギス」においては兄弟子、青邨主宰の「夏草」では師であった。納棺のあと、柩の上に一振りの見事な刀が置かれたが、それはまことに青邨にふさわしかったと話してくださった。

■『余光』より平成4年~平成8年

  美しき面影永久に水澄める  『余光』 悼 今井つる女先生 平成4年
  死にたまふ山茶花の白きはまれば  『余光』 悼 小畑俊哲先生 平成4年
  ちちははの心思へば時雨けり  『余光』 悼 星野直彦先生 平成4年
  俳諧の忌を又加へ十二月 『余光』 悼 阿波野青畝先生 逝去 平成4年
  花を待つ如くに待ちしこの日なる  『余光』 祝 次男慎二結婚 平成5年
  そのままにいつものお顔菊の荼毘  『余光』 悼 山口イソ夫人 平成5年
 ○師の荼毘のけむり一と筋花の空  『余光』 悼 岡村カナエ先生 太極拳師範 平成7年
  何につけ君亡きことを夏蓬  『余光』 悼 向山隆峰氏 平成8年

  師の荼毘のけむり一と筋花の空  『余光』
 (しのだびの けむりひとすじ 花の空)
  
 深見けん二先生は、「花鳥来」を立ち上げるとき、夏草の先輩の古舘曹人から、主宰者としての心構えを指導されたという。1つは書道、1つは健康のための太極拳悼であったという。確か、新宿の高層ビルの中の太極拳の教室であった、師範が岡村カナエ先生。
 細身の身体であるが、2日前の令和3年15日に亡くなられたときは、99歳を半年も過ぎていた。
  

■『日月』より平成9年~平成10年、『日月』以後(『水影』より)

  いち早く虚子と時雨てをらるるや  『日月』 悼 野村久雄 平成9年
  凜として水仙の香を遺されし  『日月』 悼 上野章子先生 平成10年
  寒紅をさせるお顔を見納めに  同上
  立ち憩ふ大夏木陰今はなく  『日月』 悼 清崎敏郎 平成11年
 ○君までも逝かれいよいよ梅雨深し  『日月』 悼 藤松遊子 平成11年
  限りなき天の慟哭男梅雨  『日月』以後  悼 楊名時師家 平成11年
  
  君までも逝かれいよいよ梅雨深し  『日月』
 (きみまでも ゆかれいよいよ つゆふかし)

 句意はこうであろう。平成元年に深見けん二、今井千鶴子、藤松遊子の3人で季刊誌「珊」を創刊した盟友の1人が亡くなった。平成11年6月28日のことであった。さらに同年、藤松遊子と同じく虚子の研究座談会で花鳥諷詠、客観写生を虚子から直接指導を受けた仲間の清崎敏郎が亡くなって悲しみの中にいたので、藤松遊子の死はことさら堪えた。それが「君までも逝かれ」であった。

■『蝶に会ふ』より、平成15年~平成19年

  白牡丹散りて頭上の師のもとへ  『蝶に会ふ』 悼 鳥羽とほるさん 平成15年
  この苑に幾度君と汗を拭く  『蝶に会ふ』 悼 内出ときをさん 平成15年
  悲しみは尽きず秋燕ひるがへり  『蝶に会ふ』 悼 紅谷敏子さん 平成16年
 ○世を裁き人にやさしく菊の花  『蝶に会ふ』 祝 加治幸福さん受勲 平成18年
  淡交の六十余年梅の花  『蝶に会ふ』 悼 大島民郎 平成19年
  
  世を裁き人にやさしく菊の花  『蝶に会ふ』 祝 加治幸福さん受勲
 (よをさばき ひとにやさしく きくのはな)

 加治幸福さんは、「花鳥来」の大先輩。けん二先生と同じ「夏草」の出身。吟行では誰にもやさしく声をかけ、指導をしてくださった。裁判所の判事とお聞きしていたと思う。幸福さんは、「君はうまいね」とよく言ってくださったが、育てるための褒め言葉であった、と今になって思う。

■『菫濃く』より、平成21年~平成23年

  しぐるるや風祭より梅丘  『菫濃く』 悼 今井銀四郎様  平成21年
  冬悲し春の花鳥に遊ばれよ  『菫濃く』 悼 川崎展宏様  平成21年
  面影の梅一輪を風攫ふ  『菫濃く』 悼 山田弘子様 平成22年
  雛の日の虚子のもとへと旅立たれ  『菫濃く』 悼 真下ますじ様 平成22年
  花冷のかくもつづきて悲しみも  『菫濃く』 悼 坊城としあつ様 平成22年
  冬帽も夏帽もよく似合はれし  『菫濃く』 悼 金井富一先生 太極拳師範 平成22年
  月山へわけても大き流れ星  『菫濃く』 悼 皆川盤水様 平成22年
  並び立ち鹿嶋の鴨を見しことも  『菫濃く』 小野靖彦さんを悼む 平成22年
 ○吉報は冬青空とともに来し 『菫濃く』 祝 斎藤夏風さん俳人協会賞受賞 平成22年
  荒畑のものの芽こぞり見送りぬ  『菫濃く』 悼 内野多佳子さんを悼む 平成23年
  君ありてこその北上花に逝く  『菫濃く』 悼 菅原たつをさんを悼む 平成23年
  仙川の真清水いよよ滾々と  『菫濃く』 祝 ふらんす堂新事務所 平成23年
  共に見し沼の虹とはなられけり  『菫濃く』 悼 石井とし夫さん 平成23年
  お別れのお顔しみじみ菊香る  『菫濃く』 悼 吉利正彦先生御逝去 九十一歳 平成23年
  天と地と一つに舞はれ喜寿の春  『菫濃く』 祝 楊名時太極拳 橋口澄子先生 平成23年

  吉報は冬青空とともに来し 『菫濃く』
 (きっぽうは ふゆあおぞらと ともにきし)
 
 斎藤夏風先生は、深見けん二先生の「夏草」以来の盟友であり、師の山口青邨が亡くなられたあと幾つかの結社が生まれたが、その1つの「屋根」の主宰者である。掲句は、斎藤夏風先生が第6句集『辻俳諧』で、第50回俳人協会賞を受賞されたときの、盟友へのお祝句である。

■『菫濃く』以後より、平成24年~平成26年

  露の夜の悲しみ一つ加はりぬ  『菫濃く』以後  悼 田中とし子様 h24
  野分中君の御霊の今日の月  『菫濃く』以後  悼 有馬峯子様急逝 h24
  冬麗の珠と生まれし女の子  『菫濃く』以後  祝 白石渕路さん h24
  数へ日の月皓皓と君の霊(たま) 『菫濃く』以後  悼 加治幸福さん h24
  商ひに励む夫婦や梅の花  『菫濃く』以後  祝 孫 翔 結婚式 h24
  薫風の中より新婦現れし  『菫濃く』以後  祝 孫 勇 結婚式 h24
  鎌倉も俄に寒くなりにけり  『菫濃く』以後 悼 上野城太郎様 h25
  笑みのこしおほつごもりにみまかられ  『菫濃く』以後  悼 志村あらま様 h25
  寒燈下小諸百句の黃の表紙  『菫濃く』以後  祝 『小諸百句』復刊 h25
  遠山をともども眺め春の風  『菫濃く』以後 祝 橋本久美句集『菖蒲葺く』 h25
 ○その夜や春満月を庭に見て  『菫濃く』以後  祝 蛇笏賞通知 h26

  その夜や春満月を庭に見て  『菫濃く』
 (そのよるや はるまんげつを にわにみて)

 「その夜」とは、平成26年に蛇笏賞受賞が決まった日、通知の電話をどこかで待っている心持ちがあったのでしょうか、それとも電話連絡を受けたあと、庭に出て奥様とご一緒に春満月のまどかな姿をご覧になっていたのでしょうか。
 俳人として最高峰の受賞です。「花鳥来」主催のパーティに出席した私たちも晴れがましかったことを思い出しました。

 『深見けん二俳句集成』の凡例
 ○本書は、深見けん二の既刊句集『父子唱和』『雪の花』『星辰』『花鳥来』『余光』『日月』『蝶に会ふ』『菫濃く』の8句集及び『日月』以後30句、『菫濃く』以後平成26年(2015)初夏までの作品を収録した俳句集成である。
 
 俳句歴80年であり、先輩、盟友、弟子たちに心を籠めてのふれ合いから、贈答句は多かった。