第七百十七夜 安倍正三の「立冬」の句

    障子の影            野上豊一郎

 私たちの訪問は大正15年11月8日午後3時ごろだつた。
 その時、私のあたまの中では秋の日ざしと冬の日ざしと春の日ざしと夏の日ざしのことが比較された。それから午後の太陽の角度と午前の太陽の角度のことが比較された。それから、晴れた日と、曇った日と、雨の日のことが比較された。それから・・。
 併し、百の弁証の与件も何にならう。現に私たちの目の前には、恐らくいかなる美術家も想像し得ないであらうほどの、独創的な、すばらしい図案が、2枚の障子の上に描き出されてあるではないか。さう、私は思つた。その考案者は小堀遠州であつたか。それとも、太陽をうごかしてゐる自然であるか。それを、その場合、咄嗟にきめることはできなかつた。けれども、私たちの前に1つのすばらしい芸術品があつたことだけは事実である。(『草衣集』相模書房より)
 ※野上豊一郎は、英文学者で能楽研究家。夏目漱石に師事。

 今宵は、「立冬」の作品を紹介しよう。

■1句目

  立冬の息のしめりを小鼓に  安倍正三 『ホトトギス虚子と100人の名句集』
 (りっとうの いきのしめりを こつづみに) あべ・しょうぞう

 能楽堂では、笛(能管)、小鼓、大鼓(大皮)、太鼓の四種類囃子方は舞台の正面を向いて並んで座っていて、600人ほど客席のどこからも見やすくなっている。最初のころ、小鼓方が囃子の合間に小鼓を舐めたりする姿に驚いたが、美しい音色のためには、革に湿気が欠かせないため、演奏中も息を吹きかけたり、唾液をつけたり、絶えず気配りが必要だという。
 
 小鼓方はいつものように息をふきかけていた。ちょうど立冬の日の舞台であり、「立冬の息のしめり」という表現となったのであろうが、表現も、小鼓の湿り具合も、塩梅がよかったのではと思う。

■2句目

  下駄音の勝気に冬を迎えけり  鈴木真砂女 『季題別鈴木真砂女全句集』
 (げたおとの かちきにふゆを むかえけり) すずき・まさじょ

 鈴木真砂女さんには、2度ほどお目にかかったことがある。銀座裏通りの小料理屋「卯波」で、もう1度は、俳句結社のパーティ会場であった。40歳ほど先輩で、小柄で髪を結い上げてきりりとした美しい方であった。千葉鴨川の老舗旅館の女将であったが、離婚し、銀座で「卯波」を経営しつづけた。並大抵のことでは乗り切れない幾つかの山を勝気さによって、乗り越え、生き抜いた方であった。
 
 草履よりも下駄音の似合う方かもしれない。行き届いた心配りは、店の中を小走りしている下駄音に表れている。この冬も真砂女さんの下駄音が響くであろう。

■3句目

  雨よりも雨音淋し冬に入る  山内山彦 『ホトトギス虚子と100人の名句集』
 (あめよりも あまおとさびし ふゆにいる) やまうち・やまひこ

 掲句は、雨に濡れることよりも、家にいて、窓辺に聴く雨の降る音に、季節は冬になったことの淋しさを感じていますよ、という句意になろうか。

 今年の秋は、天気予報で雨マークであっても、昼間の雨には出会うことは少なかったようだ。冬の雨も、立冬を迎えたこれからであろう。日暮れも早くなり、朝など冷気を感じる。朝の5時半ころ犬の散歩にゆくが、日の出前の暁闇の美しさの中を歩くのは、犬と同じように楽しい。