第七百十六夜 三橋鷹女の「夕紅葉」の句

   第16代大統領       リンカーン

 「Aが白でBがということで、問題は色なんだね。薄い色のほうが濃い色のほうを奴隷にする権利があると、こういうことなんだ。気をつけたほうがいい。この原則でいくと、自分より色の白い人間に出会ったら、その場で相手の奴隷になることになる。」
 「色というわけでもない? 白人のほうが黒人より知的にすぐれていると、だから奴隷にしてもよいと、こういうことなんだね。これも気をつけたほうがいい。この原則でいくと、自分より知的にすぐれた人間に出会ったら、その場で相手の奴隷になることになる。」
     エイブラハム・リンカーン(奴隷制度反対議論のための草稿より)
         ※1860年11月6日、リンカーンが第16代大統領になった日
         
 今宵は、「黄落」「黄葉」「紅葉」の作品をみてみよう。

■1句目

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女 『魚の鰭』
 (このきのぼらば きじょとなるべし ゆうもみじ) みつはし・たかじょ

 有名な作品である。長野県戸隠に伝わる「鬼女伝説」に由来したものと解釈されている。鬼女紅葉伝説とは、平安時代、平維茂(たいらのこれもち)が戸隠に棲む紅葉(もみじ)と言う名の鬼女を退治したという伝説で、能「紅葉狩」にもなっている。
 
 三橋鷹女は、輝くような美しさの夕紅葉に出会った。夕日が沈むころ、夕日の赤さが紅葉の木の上へ上へと移動する、まるで登っていくかのようであった。夕日が紅葉に映えるといよいよ真っ赤になる。
 
 この実景が元になっている。だが、鷹女は実景をそのまま写生句にはしなかった。「鬼女伝説紅葉」を思い、能「紅葉狩」を思って、燃えるような赤い夕紅葉を「鬼女」として詠んだ。そう詠んだことで、夕紅葉の美しさ、引き込まれそうなほどの怖さの美しさが生まれたのではないだろうか。
 
 筆者も、つくば市の洞峰公園の沼の端で、真っ向からの夕日が大樹に届き、駆け上り、空へぬけていく一部始終を見たことがあった。俳句に詠むことも文章にすることも叶わなかった。一句に仕上げるには、もっと執念深く、もっと強欲にならなくては。

■2句目

  黄葉を踏む明るさが靴底に  内藤吐天 『新歳時記』平井照敏編
 (こうようを ふむあかるさが くつぞこに) ないとう・とてん

 渋谷区の聖徳記念絵画館前から外苑前の青山一丁目まで続く、300メートルの銀杏並木道は木々の先端を尖らせて剪定されている。往復が二重の落葉道になっていて、11月の下旬には、まさに黄の落葉絨毯である。
 高校、大学と7年間を青山で過ごした私は、登校する際に利用する駅は渋谷ではなく、秋には、原宿で降りて銀杏並木の下を歩いた。大学生の頃には、授業をさぼったこともあった。
 
 内藤吐天さんが歩いた黄葉道はどこであったのか、だが、黄葉の明るさを靴底にまで感じながら、心も足取りも軽やかさに溢れているようである。

■3句目

  障子しめて四方の紅葉を感じをり  星野立子 第5句集『實生』
 (しょうじしめて よものもみじを かんじをり)
 
  庭園のある旅館か料亭の、四方を障子で閉め切った室内にいるのだろう。障子の向こう側には、部屋に入る前に眺めてきた紅葉の庭が深々とあることを、立子は知っている。そして今、全身で真っ赤な紅葉を感じながら、障子の奥に広がる、見えない凄絶な美に、静かに心を滾らせて座っていたのであった。