第七百二十七夜 皆吉爽雨の「返り花」の句

 今日の皆既月食のことは、守谷市の「ちいき新聞」11月12日号で見ていて、待ち遠しくて、わくわくしながら夕方を迎えた。さらにスマホでは、ご近所の仲間のご主人が刻々と月の状態を知らせてくれたので、何度も何度も、犬のノエルを連れて畑道を歩いた。
 
 もう5、6年前になるが、皆既月食を利根川の土手の上で眺めた。その時の広い土手からの月は、大きな赤い林檎のようであった。宇宙の月と対面しているような、そんな想像のできる時間がながれた。
 
 斜め向かいの、小学生の2人の子どもたちも皆既月食を見に出ている。ノエルははしゃぎ回って、大変! 今宵の主役は月で、犬のノエルではないのだが・・。
 そろそろ家に帰ろう! 部屋の窓からは、半月ほどに戻った月が明るくなり始めている。あと30分ほどで、満月となる!
  
 今宵は、「返り花」「帰り花」の作品をみてみよう。  

■1句目

  返り花きらりと人を引きとゞめ  皆吉爽雨 『蝸牛 新季寄せ』
 (かえりばな きらりとひとを ひきとどめ) みなよし・そうう

 この作品は、きっと朝の散歩で生まれた句であろう。見上げると桜の木に花が咲いている。一輪かもしれない。数輪かもしれない。返り花だ。返り花が朝の光に・・それも逆光を浴びてきらりと光った。みてね、と、花は皆吉爽雨の足を引き留めた。
 
 返り花を見かけると、いじらしく思う。春に一度咲いたのに、咲き誇ったはずなのに、もう一度花を咲かずにはいられないのだろうか。
 今年もうすうすとした花びらをつけた桜の木を見かけた。毎年考えてしまうが、この花は、返り花であろうか、それとも冬桜かしら、と。

■2句目

  蒲公英は大地の花よ返り咲き  永倉しな 『ホトトギス新歳時記』
 (たんぽぽは だいちのはなよ かえりざき) ながくら・しな

 タンポポの地下の茎根は、毎年の花を支えるのにふさわしい太さと長さをしている。冬に見かけるタンポポというのは、地面から這うようにして寒さに耐え、直接葉っぱが出ている形であり、その形をロゼット状と言う。
 
 句意はこうであろう。春に咲くタンポポが小春日の大地に再び花を咲かせている。しかも、春の咲き方とは少し異なっている。春は茎を上に伸ばして咲くが、冬に返り咲くタンポポは、冬の寒さに相応しく、大地に葉をロゼット状に広げ、花の丈も低い。
 永倉しなさんは、タンポポを「大地の花よ」と、見事にとらえ、言い切った。

 この「千夜千句」を綴っている1時間ほどの間に、今年の、赤黒くではなく黒々としていた皆既月食は元の満月に戻っていた。大いなる地球の不思議とはなんと素晴らしいことであろうか。