第七百二十六夜 高浜虚子の「鴨」の句

 昨日は、つくば市でアメリカフウの紅葉を見たついでに、洞峰公園にも立ち寄った。犬のノエルも連れていった。小春日の暖かさと、紅葉の中で、かわいい鴨や小鴨たちが水尾を煌めかせながら沼を泳いでゆくのを、しばらく沼辺の芝生から眺めていた。どうやら沼の端のガマやアシの群生地へ入ってゆくようであった。なかなか出てこないところをみると、鴨たちの休む場所なのであろう。
 
 春先や夏場とは異なり、11月も半ばを過ぎる頃には、公園の芝生で遊ぶ親子連れも少ない。豆柴犬を連れた人がやってきた。わが家の大型犬の黒ラブのノエルに近づくや、お腹を見せてゴロンところがった。わが家のノエルも、もちろん大喜び。2匹は芝生の上でゴロンゴロンところがりっこしている。
 
 広い洞峰公園の洞峰沼での、静かな静かな時間であった。
 
 今宵は、「鴨」「水鳥」の作品を紹介しよう。

■1句目

  鴨の中の一つの鴨を見てゐたり  高浜虚子 『五百五十句』
 (かものなかの ひとつのかもを みていたり) たかはま・きょし

 掲句の背景は、昭和11年1月2日。武蔵大沢浄光寺。旭川歓迎会での作である。
 浄光寺というのは、現在の埼玉県北越谷にあり、大正期から古梅園も併設した寺で、冬には、近くを流れる元荒川に鴨が飛んでくるという。
 旭川とは、神戸在住の医師で同人の皿井旭川(さらい・きょくせん)のこと。おそらく新年の挨拶に上京した旭川を、浄光寺で吟行句会をして歓迎をしよう、となったのであろう。

 句意と鑑賞は次のようである。

 「鴨の中の」……群れ騒ぐ鴨たち、その中の
 「一つの鴨を」……一羽の鴨に心が留まり、
 「見てゐたり」……ずっと見ていましたよ。 
        ※『五百五十句』全句の解釈を試みていた時の形のまま。
 
 正月の参拝客や早梅の梅見客の賑わいをぬけて川辺に出た虚子は、群れている鴨を眺めていた。鴨のはね散らかす真冬の水しぶきは輝いている。羽搏つ鴨、潜る鴨、水脈をたててゆく鴨、浮寝の鴨がいる。その中の一羽の鴨に目をとめた虚子は、その一羽の動きを追うかのようにずっと眺めていた。
 特別な鴨というわけではなくても、なんとなく一つの鴨に目をとめ、見るともなく目は追いつづけ、ぼんやり時間が流れることはある。やがて我に返った虚子は、ずっと鴨を見ていたことに気づいた。

 初句は「鴨の中一つの鴨を見てゐたり」であった。推敲の際に、上五に助詞「の」を入れ、「鴨の中の」と6文字という字余りにした。
 この推敲によって、まず何羽かの鴨が見え、次にその中の一羽に焦点を当てた「一つの鴨」が浮き上がり、さらに際立つ作品となった。

■2句目

  水鳥の水をつかんで翔びあがり  深見けん二 精選句集『水影』より
 (みずとりの みずをつかんで とびあがり) ふかみ・けんじ

 水鳥の足には蹼(みずかき)があって、飛ぶ時には閉じる水鳥もいるという。けん二先生の見たのは、吟行句会でよく行く公園の池や沼で飼われている鴨であったかもしれない。あるいは、ご自宅の近くの川へよく散策されていたが、そこで見かける白鷺であったかもしれない。
 
 句意は、水鳥が水面から翔び立つ瞬間、水鳥は水を掴んでいるように見えましたよ、となろうか。
 
 「水をつかんで」とは、水鳥の水掻きが「水をつかむ」という動作はできないと思われるから、翔び立つ時に、水掻きから飛沫がこぼれる水を、そう描写したのではないだろうか。
 客観描写によって「水をつかむ」と詠むことは、俳句の詩であり文学である。けん二先生は『折にふれて』の「句を授かる」の中に、「どう感じたかということは、言葉によって表現して、はじめて文学になるのである」と書いた。