第九百五十八夜 高浜虚子の「稲妻の尾」の句

 「千夜千句」に到達するまで、あと40日余りになった。残暑厳しき折なのにと、言い訳したくなりそうな連日である。だが、もう40日余りまで迫ったのだ。目標は、11月10日に喜寿となるわが誕生日までに達成することである。
 
 今宵は、私の好きな「稲妻」「秋の雷」である。茨城県に転居して取手のマンションに住んでいた時のことだ。マンションの向かいの広大な東芝工場は深い森に囲まれている。雷が鳴り出すと、戸を開け放ってベランダに椅子を置いて、私はずっと眺めていた。当時の犬のオペラは横にぺったり寄り添っていた。
 
 東芝工場の森の上空に稲妻はよく光り、時折は轟音とともに雷は落ちてきた。すこし離れた場所でもあり、真闇の森が、「いなびかり」の閃光の中に、緑色を帯びて浮かび上がってくる。なんと美しい瞬間であろうか。

 ここに住んでいる時だけではない。現在の守谷の家でも、雷が鳴ると、カーテンを明け放つ。
 
 今宵は、「稲妻」「いなびかり」の作品を見てみよう。


  雲間より稲妻の尾の現れぬ  高浜虚子 『六百句』昭和18年
 (くもまより いなづまのをの あらわれぬ)

 毎晩の犬の散歩で、犬は地面を嗅ぎながら歩いているが、綱を引いている私の方は、遠くの夜空を見ながら歩いている。玄関を出た瞬間に夜空を見上げている。いつも見ていて知っている星座や星の名は、北斗七星、金星、木星だけだが・・。夫が星座の本を出して、「すこしは覚えろよ!」と言うのだが・・。
 
 雨の日に稲妻が光ることはないように思う。雲の多い日、雲間から稲妻の光がピカッと輝いて見えることはある。
 
 虚子は、稲妻の尾が雲間から現れたという。稲妻の光る時は、雨催いのことが多いから雲の動きも速く、そうした雲の間から光るように現れたのが稲妻の尾であったのではないだろうか。


  いなびかり金の刃で雲をわる  小6 谷口加代子  『小学生の俳句歳時記』あらきみほ編著
 (いなびかり きんのやいばで くもをわる) おだぎ・こうじ

 「雷」は夏の季語で、「稲光(いなびかり)」は秋の季語である。夏の終わりのころ、初秋の稲のみのるころに遠くで雷鳴もなく光るのが「稲光」である。加代子さんの「金の刃で雲をわる」の言葉から不気味に光っている雰囲気が伝わってくる。

 いなびかりのピカッと光るとき、金色の光がパチパチして、チャンバラごっこの刀と刀の打ち合いのように見えると、加代子さんは思ったのではないだろうか。
 学校から帰ってきた兄や弟が、庭先でよくチャンバラごっこをしているので、加代子さんは、いなびかりを「金の刃」のように見えることに気づいたのだ。

 加代子さんの凄いところは、次の「雲をわる」である。刀を振りまわしている姿は、いなびかりが、雲を割ろうとして空に向かって振りまわしている姿と、どこか似ていると感じたことであった。


  秋の雷仰臥の宙に激発す  日野草城 『蝸牛 新歳時記』
 (あきのらい ぎょうがのちゅうに げきはつす) ひの・そうじょう

 「宙」は、「ちゅう」または「そら」と読む。おそらくモダンな句風の日野草城ならば、「仰臥」「宙」「激発」といった強い響きが互いにひびき合うように、「ちゅう」と読んで欲しいのではと思ったが、どうであろうか。
 終戦後に肺結核で寝たきりであった仰臥の草城であった。その草城の仰臥の「宙」の上に、秋の雷が次から次へと激しい音をたてて鳴っている。

 このように、一歩先んじたモダンで才気煥発ぶりであった。高浜虚子に認められ、同人になるのも巻頭作家になるのも早かったが、その後、昭和11年10月、突然のように「ホトトギス」の同人を、杉田久女とともに除名される。「ホトトギス」を除名されたのは、無季俳句の道へ進んだためと言われている。昭和24年には、草城は「青玄」を創刊主宰する。

 掲句の「宙」は、「ちゅう」または「そら」と読む。私は、平仮名でルビを付ける際に迷った。日野草城ならば、おそらく「仰臥」「宙」「激発」といった強い響きが互いにひびき合うように、「ちゅう」と読んで欲しいと思うのではないかと考えたからである。
 昭和30年、晩年の草城は肺結核を患って床に伏していた。モダンな作風の草城は、激しい雷鳴を「宙に激発す」と詠んだのであった。
 
 草城の自宅「日光草舎」へ、虚子は見舞いに訪れた。草城はその日に「ホトトギス」除名を解かれたという。