第九百五十七夜 角川源義の「秋の濤」の句

 犬連れでよくドライブしたのは、黒ラブ1号のオペラであった。利口な犬で、家族の心の動きも読んで行動していたように思う。13歳の夏のこと、寿命であったかのように一夏の日々をすこしずつ弱り、出来ないことが増え、8月24日の明け方に私の腕の中で息を引き取った。
 その後、しばらくは次の犬・・など考えられなかったが、7ヶ月後の春、犬のいないわが家は淋しくて、黒ラブのブリーダーから購入したのが現在のノエルである。黒ラブ2号目ノエルの落ち着きのなさといったら・・元気がいいね、では済まされないヤンチャぶりである。幼いノエルを叱りつつ追い回しているだけで、一日中、仕事に集中することができない。
 終に家の中でも、遊び時間でない時には階段の手すりに綱を付けられている犬となった。
 
 太平洋岸の大洗や五浦へ連れて行ったのは、もちろん黒ラブ1号のオペラ。夏場は混んでいるが、秋の浜となれば人影はぐんと減っている。誰もいない浜にオペラを放すと、打ち寄せる波に逃げまどい、引く波には、はしゃぎまわって追いかけていた。

 今宵は、「秋の浜」の作品を見てみよう。
 

  勿来すぎ身ほとり秋の濤の声  角川源義 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (なこそすぎ みほとりあきの なみのこえ) かどかわ・げんよし

 勿来の関は、茨城県との県境で福島県側にある。茨城県最北に五浦(いづら)があり、ここには岡倉天心の建てた六角堂がある。六角堂が好きで、数年ごとに波音を聴きに行く。「この直ぐ先が福島県で、有名な勿来の関がありますよ。すこし歩いて見てきたらいいですよ。」と、見知らぬ人が六角堂の前で声をかけてくれた。
 掲句は、六角堂から海岸線に沿って勿来の関へ歩いた時のこと。太平洋の波が沖から、つぎつぎに寄せてくる。源義さんの身ほとりには秋の海の濤の音が、岩だらけの海岸にくり返し当たっては砕けている。「波」でなく「濤」と旧字にしたことで、秋になって少しずつ荒くなってきた太平洋の大海原の「濤」が見えてくるようだ。

 角川源義は、国文学者、俳人、俳号は源義(げんぎ)。出版社角川書店の創立者。


  東尋坊遠ざかりたる秋の海  赤松柳史 『新歳時記』平井照敏編
 (とうじんぼう とおざかりたる あきのうみ) あかまつ・りゅうし

 福井県の東尋坊と云えば、私にとっては俳句の世界に入る以前の、大学一年のグループ旅行を思い出す。青山学院大学では、入学すると「アドグル」(アドヴァイザー・グループの略)に必ず所属する。大学教授を囲むグループで、研究グループもあるが旅行グループもある。私の所属したのは「森アドグル」で、活動は主に年に2回の一泊旅行であった。1回はスキーへ、1回は名所旧跡の旅である。
 この時は福井県の東尋坊。後に俳句を始め、学んだのが高浜虚子。虚子は俳人であり小説家でもある。小説『虹』は、東尋坊の近くの三国町に実在した森田愛子が主人公である。大学生の私たちは、哀しい恋物語を知るはずもなく、ただ賑やかに通り過ぎただけであったが・・!
 
 東尋坊は海から切り立った崖である・・調べてみると、1キロも延々と続く荒々しい崖は「柱状節理」と呼ぶのだそうである。この東尋坊の崖に立って、越前加賀海岸をはるかに見やると、海は東尋坊からどんどん遠ざかっていくように感じられる。険しさが淋しさとともにあった。
 それが、東尋坊の「秋の海」なのであろう。