第百九十一夜 高浜虚子の「木の芽」の句 「五百五十句時代」

 この作品は「句日記」から『五百五十句』に入集されてはいない。だが『渡仏日記』には書かれており、フランスに入国した虚子の最初の作品である。
 「五百五十句時代」として、特別に、紹介したいと思う。

 三月二十七日にマルセイユに箱根丸は入港した。虚子と章子は、およそ十年前一人でパリへ音楽の志を抱いて出発した友次郎に迎えられたのであった。三人は船に一泊し物静かな一夜を雑談に過ごした。
 翌三月二十八日には箱根丸を下り、汽車に乗ってパリへ向かった。

  フランスの女美し木の芽また 「五百五十句時代」
     昭和十一年
     三月二七日。マルセイユ入港。出迎へし友次郎と一夜を船に過し二十八日朝七時下船。直ちに巴里に赴く。ローヌ河辺嘱目。

 ■句意と鑑賞
 「フランスの」……同じコンパートメントに乗り合わせたフランスの、
 「女美し」……女性は美しい。
 「木の芽また」……列車から見る雑木林の木の芽は、また更に美しい。

 虚子六十三歳。季題[木の芽=春]
 虚子は木の芽の美しさを詠みたかった。そして、勿論「フランスの女」もふっくらとした木の芽のように美しかったことも事実であろう。だが、「フランスの女」は、木の芽の美しさを引き出し強調する措辞であったのではないか。

 ■ローヌ川と木の芽
 『渡仏日記』に次のように書いてあるので引用させていただく。
 「仏蘭西は中央の高地から南に流るゝものがローヌ河となり、北に流るゝものがセーヌ河となるのださうだ。其ローヌ河に沿うて我汽車は非常な急速度で走りつゝあるのであるが、私の尤も美しいと驚嘆したのは其ローヌ河のほとりにある雑木林の木の芽である。日本にも白い木の芽はありはするが、此ローヌ河の岸の木の芽はビロードのやうに柔かく、銀のやうに光り輝いてゐた。(略)此木の芽は全く花よりも美しかつた。」

 ■同じ列車に乗り合わせた女
 「フランスの女」というのは、列車の同じコンパートメントに乗り合わせた女性のことである。章子がマルセイユで受け取った手紙を読んでいると、その女性は話しかけてきた。貼ってある切手を興味深そうに見たので、章子が一枚上げると嬉しそうにバッグの中へしまい込んだという。
 そのやり取りを聞いていた兄の友次郎は虚子に、「此女は下品な言葉を遣ふ奴だ、教養の無い女だ。」と、言っていた。

 「千夜千句」では、フランス、ドイツ、ロンドンと、旅は続くが、虚子が西欧を訪れたのは、息子の友次郎に会うためだけではなく、俳句の種を撒くためでもあったという、大きな目的に触れながら、書き進めていこうと考えている。