第二百九十二夜 宮武寒々の「秋山」の句

 宮武寒々(みやたけ・かんかん)の寒々という名前はユニークなので歳時記などで見かける度に心を留めていたが、作品を知ったのは、蝸牛社刊の『秀句三五〇選4 愛』であった。
 
 今宵は、寒々の作品をいくつか考えてみよう。

  秋山も大河も己が名を知らず 『秀句三五〇選4 愛』
 (あきやまも たいがも おのがなをしらず)

 様々の方の俳句に触れるたびに、このような感じ方があるのか、と驚くが、同じものを眺めているのに、「26文字」を駆使して表現できていることは、俳句って凄いと思う。
 たとえば日本だけを考えても、一体どのくらいの数の山があり、どのくらいの数の川が流れているのだろう。しかも、その一つ一つの山や川にはちゃんと名前が付いている。
 確かに山も川も「己が名を知らず」かもしれない。教科書で学ぶ名は有名な山や川である。歳時記では、郭煕の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠って、俳句では、春の季語「山笑う」、夏の季語「山滴る」、秋の季語「山粧う」、冬の「山眠る」としている。
 全ての山や川に名が付けられているのは、地元の人たちが日々の生活の中で、山や川に親しみやすくなる、ということではないだろうか。
 だが、名付けられた山は、己の名を知ることもなく、春には木の芽を出し、夏には万緑となり、秋には美しく紅葉し、冬には葉を落とし眠ったように静まっている。川は、名を付けた地元を通り抜けるときも関係なく流れてゆき、流れる水は刻々と違った水である。
 
 こうした理屈は、考えてみるとわかるが、山も川も、「己が名を知らず」であったことには気づかない。
 「秋山」と「秋」にしたのは、華やかで美しいからとも言えようか。

  胸中を探り会い酌むいわし雲

 宮武寒々は、大阪心斎橋で傘屋の老舗「みや竹」の二代目の旦那として、商売の仲間との酒席でも腹の探りあいなどもあったと思われる。まあまあ、と言いつつ眼の奥はきらりと光らせている。
 季語の「いわし雲」は、 白い小さな雲が、魚のうろこのように群がり広がっている雲のことで、微妙な心の動きを詠むときに取り合わせたりすることが多い。

  櫛忘れし汽車雪原を細く去る

 この「櫛」は、作者自身が汽車を降りる際に置き忘れたとするのではつまらない。粋筋の女人と旅に出た帰り、女性の方が置き忘れたとするのはどうだろう。ともに乗りともに下りた汽車は出発し、雪原を黒く、だんだん細く遠ざかっていった。

 宮武寒々(みやたけ・かんかん)は、明治27年(1894)-昭和49年(1974)、京都市生まれ。大正期の始めから句作をし、最初は「ホトトギス」に出句、大正中期より飯田蛇笏に師事する。父の洋傘ショール店を継ぎ、大阪心斎橋の老舗「みや竹」の二代目の主人として市井に徹しつつ詩情の高踏を歩む。第8回山廬賞受賞。句集に『朱卓』『続朱卓』がある。