第三百二十七夜 高浜虚子の「秋の雨」の句

 令和2年の10月1日の十五夜、2日の満月と、美しい月夜がつづいた。「雨月」「無月」は、又の機会に書いてみよう。雲量の多い重たいほどの昨日今日だが、満月の出を見にはしゃぎすぎた。
 今宵は、「秋の雨」の句を見てみようと思う。
 
  屋根裏の窓の女や秋の雨  『五百五十句』
  
 昭和11年9月10日、銀座探勝会での作。虚子の句会はどれも20名ほどの小句会であるが、この銀座探勝会は、銀座に縁のある人たちのホトトギスの句会の一つ。この日の会場は、木挽町三丁目河岸、朝日倶楽部であった。
 『五百五十句』、『喜寿艶』に収められており、『喜寿艶』で虚子は、「屋根裏の一室にゐる或種類の女。その女がぼんやりと窓によって秋雨の外面を見てをる。」と、自句自解している。

 「窓の女」とは、虚子の自解では窓辺によって秋雨が降るのを眺めている「或る種類の女」である。当時すでに流行っていたカフェとかキャバレ-で働く女性のことであろう、夕方からの出勤なので、窓辺の女は、髪型を整え、お化粧もし、着物も少し派手目のものに着替えている。大正から昭和の初期には、普通の女性の着物の柄も色も派手であったようだが、粋な着こなしの或る種類の夜の女となれば、傍から見れば違いは分かる。
 どういう光景・状況になるのだろうか。私は、次のように想像してみた。
 
 虚子は、何気なく向こう側の建物の窓に女人の姿を見た。夕暮れの電灯明かりに、派手な着物姿や髪形が見えている。
 これから仕事にゆく前の、夜の身支度を終えたばかりの女人であろう。外は秋の雨がしとしと降っている。女人は窓に近づいて、外に降る雨を眺めている。
 窓の女は、男性のお酒の相手をし、楽しい話題で気分良く過ごしてもらわねばならない、そういう仕事をする女である。窓に映っている姿は美しいけれど、その佇まいは一抹のもの悲しさが漂う。
 
 この作品は、「屋根裏」「窓の女」「秋の雨」を3つ並べたそのままのじつに簡素な詠み方であるが、行間から伝わってくるものがしみじみとして深い。
 それが、季題の「秋の雨」の働きであった。

 「秋の雨」は、虚子編『新歳時記』には「秋雨は蕭条と降る。風が添って荒く降るにしても、またもの静かに降るにしても、つめたく陰気である。長く続くと秋霖とか秋黴雨(あきついり)とか呼ばれる。」とある。
 秋の雨が冷たくしとしと降っていることで、屋根裏の部屋に住む女、その窓から外を眺めている女の、このように生きねばならない身の上の心細さが側側と伝わってくる。
 
 昭和13年10月に発行された合同句集『銀座探勝』には、ホトトギス同人であり小説家の大岡龍男が書いた第三回目の句会記録に、虚子の吟行の姿がよく描写されていた。
 一部を紹介させていただく。

 「折から防空演習で在郷軍人連がバケツをリレー式に手から手へ勇ましく渡す掛声が聞こえる度に、六丁目の実花さんは首をすくめて笑つた。が虚子先生はふりむきもされずうすら寒い雨じめりの廊下に立つてじつと降りしきる川面を見詰めてゐられた。二十分たち三十分たちしても先生は根から生えた如く動かれない。向岸には高い建物がありその五階の上の屋根裏らしい小さい窓には若い女が半身を乗り出して川を眺めてゐた。先生は静かに懐手のまゝ向岸へ眼をやつてゐられた。

  屋根裏の窓の女や秋の雨

 やがてこの句が披講された時、先生はさりげない様子で「虚子」と静かに名乗られた。」