第三百二十六夜 菊田一平の「木の実落つ」の句

 菊田一平さんと最初に出会ったのは、石寒太主宰「炎環」の「石神井句会」である。この句会は、2句投句で、1句は当日に題が出される。すこし早めに行くが、お喋りどころではなく、みな必死に考え込んでいる。その人らしい作品が飛び交う楽しい句会であった。
 もう30年ほど昔となるが、当時、一平さんがどのような作品を詠んでいたのか朧であるが、一平さんが採ってくださった私の句は忘れていない。褒め言葉は、「この句、いいよ」であった。
 二次会で、たまたま近くに座ったときお聞きして驚いたことが、「1月に参加する句会は20くらい」であった。一平さんの場合は、つねに俳句に貪欲であったということだと思う。
 
 今宵は、菊田一平第1句集『どつどどどどう』から、紹介させていただく。

  どつどどどどう賢治の空や木の実落つ

 一平さんは、故郷の気仙沼から上京するには一関を通らねばならない。途中の陸前松川駅近辺から景色は白く変貌する。石灰岩の採掘場とその加工場である。ここは宮沢賢治が技師として働いて居た場所だという。賢治がこの谷や山々を歩いていると思うと懐かしく、ある時から一平さんは松川駅に近づくと、賢治の姿を探している自分がいたという。
 この作品は『風の又三郎』を意識して詠んだ句。読者の私たちも、「あっ、又三郎だ」と気づくが、この風の音に強く惹かれてしまう。

  芋煮会いつも水汲む役ばかり

 東北では、川原でよく芋煮会をする。一平さんは、背も高く、恰幅もよく、にこにこして優しいから、誰からも頼りにされるし頼みやすい。水汲みの仕事が一番の力仕事で、やわな男性では無理かもしれない。

  雪の日の雀あつまる大きな木

 どこか暖かい。雪の降る日は、家々の軒下にいることが出来ればいいのだが、森や林の中では、大きな木が雀たちにとっての身を守ることの出来る貴重な場所となる。例えば樅の木や杉の木の大樹には、雪の積もらない枝がある。雀たちは、雪の日にはあの木のあの枝に避難しようと、ちゃんと分かっているのだろう。

 『どつどどどどう』の句集の最後は、2001年9月11日、アメリカ合衆国のニューヨークで起きたテロの悲劇の14句が収められている。世界中がテレビ中継に釘付けになったあの日である。他の人が苦しみ、逃げ惑う光景をクーラーの効いた室内でテレビに齧りついていいのかと、こうした中継の度に思うが、見てしまう。

 この14句から、当日を思い出してしまった。
 
  秋天や栗鼠の平たく走りたる
  行く夏をマンハッタンが燃えてゐる
  アメイジング・グレイス流れ雨月の夜
  夜や秋のふつと異臭に黙りけり
  
 1句目、動物は大きな物音に強い反応をして逃げ出すというが、「平たく走りたる」は、1つも逃すまいと見ていた一平さんが捉えたリスの描写かもしれないが、あるいは、一平さんの恐怖が捉えた表現かとも思った。
 2句目、爆発した直後ではなく、すこし気を取り直して眺めた時の、なすすべもなく燃え盛っている状態であろう。
 3句目、もう燃える炎はなく、暦で言えば満月の日だが雨で月は見えていない。人々が集まり、雨の中で歌い広がってゆく鎮魂の曲は「アメイジング・グレイス」だ。
 4句目、火は収まっている。誰もが気づいているが、異臭がしている。生き物の焼けた臭いである。だが誰もそのことを口にはしない。
 14句の全てを紹介することはできなかったが、よくぞ詠いきった14句だと思った。

 菊田一平(きくた・いっぺい)は昭和26年(1951)、宮城県気仙沼市生まれ。集英社を退社後、俳人協会に勤務。俳句は、俳人であった父の添削指導にはじまる。第1句集『どつどどどどう』発刊の頃は、「や」「魚座」の同人。たくさんの句会で学んでいたことは知っていたが、現在は「や」「豆の木」「晨」同人。「俳句唐変木」代表。