第三百二十九夜 中村苑子の「凧(いかのぼり)」他4句

 10月始めからの月を追いかけて、草臥れて、ここ数日は蝸牛社刊『秀句三五〇選』シリーズを眺めていることが多かった。このシリーズは、先にテーマを決めてから先生方に依頼したものだが、6巻目の「死」の編著者の倉田紘文先生も、この重いテーマをしっかと受け止めてくださった。その解説の書き出しはこうであった。
 
 「”死”・・なんと静かで激しいひびきをもつ語であろう。 ”死”・・なんと遠くて身近な思いをさせる語であろう。その「死」に面とむかって、私はこの数ヶ月間を過ごして来た。この『秀句三五〇選 死』のテーマと取り組んだ日からである。」
 
 本著が刊行されて30年が経った。当時編集した私は、死を受け止めて生きていなかったことが今、漸く分かるようになったように思う。
 
 今宵は、倉田紘文編著『秀句三五〇選 死』から、倉田紘文の詞そのままを紹介する。

  凧なにもて死なむあがるべし  中村苑子『水妖詞館』

 凧(いかのぼり)はいつも素手である。素手である以上もはや何も掴むこともない。ただ風にまかせてその風と共にある他はない。だからせめて自在に天空の高きところまでその気位を保とうではないか。「あがるべし」にせめてもの志の貴さが感じられるのである。【凧・春】

  ぼうたんのいのちのきはとみゆるなり  日野草城『日野草城全句集』

 この句、ひらがな書きがまず心を引く、牡丹の花のあのゆるやかな艷麗さを描き出すには、このやわらかな描写がふさわしい。いよいよの日数を重ねて、花びらに力がぬけ、花の命がうすれてゆく。そのたおやかさが草城の天性の細やかな情感でかくも美しく詠いあげられたのである。【牡丹・夏】

  月光にいのち死にゆくひとゝ寝る  橋本多佳子『海燕』

 この句と同時の作に〈死にちかき面に寄り月の光るをいひぬ〉〈月光は美し吾は死に侍りぬ〉がある。作者は38歳の時に夫の豊次郎を失った。月光のさし入る床でのこれら一連の作品はあまりにも美しく哀しすごる。
 その後、多佳子は〈螢籠昏ければ揺り炎えたゝす〉〈罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき〉と夫恋いの果の情念を詠いつづける。【月光・秋】

  冬蜂の死にどころなく歩きけり 『鬼城句集』

 このシリーズで「死」のテーマを拝命した時、先ず心に浮かんだのがこの句であった。「死」という語が出ているが、まだ「死」に至ったわけではない。それどころか必死に「生」をかかえて生きているのだ。
 冬蜂はそのまま鬼城自身なのであろう。そしてさらに言えば、鬼城はまたそのまま私たちの誰ででもあるのだ。【冬蜂・冬】

  今年また平凡ならん死なざれば  佐藤念腹『秀句三五〇選 死』

 昭和2年は移民としてブラジルに渡り農業に従事。虚子に師事し、素十に兄事してブラジル俳句の今日を築いた人。
 長い移民生活の苦しさを俳句によって支えてき来た人だけあって、その思想は大らかである。下五の「死なざれば」には悠々たる悟覚があり、上五の「今年また」には大いなる達観がある。【今年・新年】