第三百八十二夜 松澤 昭の「凩(こがらし)」の句

 松澤昭氏の略歴には、氏の俳句の特長として、季定型を守りつつ、写生を超えて心象風景を描きだす「心象造型」を唱えた人であると書かれていた。
 写生を超えた心象風景とはどういうものなのだろう。
 写生による描写があってこその心象風景だと思っている私には、すこし理解しにくく思ったが、友岡子郷編著『秀句三五〇選 夢』に見た〈凩や馬現れて海の上〉に惹かれつつ鑑賞してみようと思う。
 
 今宵は、松澤昭氏の作品を紹介させていただく。

  凩や馬現れて海の上  『神立(かむだつ)』  
 (こがらしや うまあらわれて うみのうえ)

 この作品に出会ったとき、茨城県北の天心記念五浦美術館の六角堂から眺めた太平洋の冬の海を思い出した。この日は特別に凩が吹きすさんでいたのかどうか定かではないが、冬の海は波が高く、白馬の鬣(たてがみ)のような波頭が次々と岩肌の海岸に押し寄せていた。岡倉天心が思索に耽りたいときに籠もっていたという六角堂に凭れて、夫と私は、ずいぶん長い時間をすごした。
 松澤昭氏の、凩の吹く海の上の「馬」は、この荒々しい鬣のような白波ではなかったろうか、と思った。長いこと荒波を見ていると、遂には、白馬の群れが疾走している姿にも思えてくる。
 江戸時代の池西言水に〈凩の果はありけり海の音〉句があり、山口誓子に〈海に出て木枯帰るところなし〉の句がある。
 凩の行きつくところが海であるならば、海の上に現れた白馬と出会い、白馬に乗って何処へか行ってしまうかもしれない。【凩・冬】
 
 この作品は、「雲母」同人の頃の代表句で、第1句集『神立(かむだつ)』に入っている。「神立」とは、雷、雷鳴の意味だという。

  いちまいの冬田こんがりできあがる  『麓入(ろくにゅう)』 

 「こんがりできあがる」冬田は、稲刈が終わり、穭田(ひつじだ)となり、やがて穭も枯れて、一面枯色となる。「こんがり」とは、枯田の色であろう。「いちまい」は、お百姓さんの作る「いちまいの田」ということで、一年がかりの稲作を終えた田の色に満足した表現が「こんがりできあがる」であった。
 1枚のトーストがいい色に焼き上がったような、かろやかな爽やかさを思った。【冬田・冬】

  お花見に坐りこんだるあしのうら  『面白(めんぱく)』

 まず、句集名の「面白(めんぱく)」とは、何だろうと思った。ネットで調べると、「面白」の例文があった。意味は「おもしろい」であるが、小説家久米正雄の「虎」の作品に出てくる科白の「妙な人と乗り合せたものだね。だから此の電車(いなづまぐるま)といふ奴は面白(めんぱく)だて。」が、句集名の由来ではないかと思った。
 
 この作品は、茣蓙の上に座り込んで花見をしている光景のようだ。お酒が進み、酔ってきて、遂には靴下を脱いでしまった人の「あしのうら」であろう。素足の「あしのうら」がこちらを向いていると、妙に気になるものである。頭上には美しい桜の花が満開なのに、目の方はつい「あしのうら」へ引かれる。【花見・春】
 
 松澤昭(まつざわ・あきら)は、大正14年(1925)- 平成22年(2010)、東京都北区に生まる。父は「雲母」同人の松澤鍬江。少年時代より萩原朔太郎、三好達治に憧れて詩作を試み、また10代の頃より俳句に興味を持つ。昭和19年、学徒動員時代に句作を開始。昭和21年、法政大学経済学部を卒業。この年に飯田蛇笏に会い師事する。昭和28年、「雲母」同人。昭和31年より現代俳句協会会員。昭和36年、石原八束、文挾夫佐恵、柴田白葉女らとともに「秋」を創刊・主宰。翌昭和37年、「秋」主宰を辞し、昭和39年「四季」を創刊・主宰。平成12年、現代俳句協会会長に就任。平成20年、第8回現代俳句大賞を受賞。