第四十七夜 京極杞陽の「六の花」の句

  雪国に六の花ふりはじめたり  京極杞陽 昭和三十三年

 鑑賞してみよう。
 
 杞陽の住む兵庫県豊岡市は、日本海側の山陰地方なので、冬は雪に長く閉ざされる雪国である。「六の花」は「むつのはな」と読み、「雪」のこと。雪の結晶を顕微鏡で見ると、さまざまな形はどれも六角形をしている。雪の結晶の研究家であり人工雪を初めて作った理学博士・中谷宇吉郎に『雪』という随筆があり、その一番最後に「雪は天から送られた手紙である。」と書かれている。
 この一文はロマンチックで詩的だ。学生時代は冬中真っ黒なスキー少女だった私は、あるとき長野県の霧ヶ峰で六角形の雪が空から降りてくるのを、掌に受けながらいつまでも見ていたことがあった。
 
 杞陽の「六の花」の作品を見つけたときはあの霧ヶ峰での光景が蘇るようであった。この句の良さは、「六の花が降っていますよ」とだけしか言っていないというシンプルさである。掲句の「雪国」から、雪が天から果てなく切りなく降りてきているだけである。冬季は長いこと雪に閉ざされている杞陽は、雪景色が好きで雪の静けさが好きで、雪の重たさを諦念のように受け止めているのであろう。

 京極杞陽(きょうごくきよう)は、明治四十一(1908)年に東京市の旗本屋敷で生まれた京極家の長男。兵庫県豊岡藩主十四代当主(子爵)である。大正十二年の関東大震災に遭遇、生家は焼失、祖母、父母、弟妹二名を同時に失った。闇を見たという。生き残ったのは姉と二人で、杞陽は当時十五歳であった。昭和九年に東京帝国大学文学部卒。前年の昭和八年、伯爵柳沢家の長女昭子と結婚。
 
 昭和十年にヨーロッパへ遊学した杞陽は、虚子と運命的な出会いをする。ベルリン日本学会講演会で渡欧中の虚子の講演を聞き、翌日、日本人会による虚子歓迎の俳句会に出席。出句したのが次の句で、ヨーロッパで出逢った若い女性を詠んである。

  美しく木の芽の如くつつましく  昭和十一年

 杞陽のこの一句は虚子に鮮烈な印象を与えた。
 虚子は帰国後、「ホトトギス」に「伯林俳句会の席上で私の注意を惹いた一人の若い人がありました。」と書いている。
 見たまま感じたまま心の動きのままに詠んだように見える杞陽俳句は、この時代の男性俳句には見かけなかった質の作品である。素直で平明な言葉からは、情景が見え、明るい心持ちがすうっとこちらへ響いてくる。虚子は新しい才能を見出したことがうれしかったのだ。
 この句が機縁となって、杞陽は虚子と生涯の師弟となった。

 昭和二十一年まで勤務した宮内省を辞して貴族院議員となったが、翌二十二年には階級制度は崩壊し貴族院は廃止された。杞陽は、自宅の亀城館のある豊岡市へ戻り、地主として、また地元の俳誌「木兎(もくと)」を再刊し、主宰者として生涯を過ごした。