第五百一夜 阿部みどり女の「初蝶」の句

 「千夜千句」が五百夜まで辿り着いた。どうにかこうにかではあったが、コロナ禍のなかで、毎日しなくてはならないことがある喜びはありがたかった。
 さて、後半に向かって、飛び立とう。
 
 初蝶、蝶の姿を見かけることはあるが、蝶の産卵、青虫、蛹(さなぎ)、羽化という過程を見ることはなかった。小学校の理科の時間に習った記憶はあるが、同級生の男の子はなぜか詳しかった。
 今回はネットで、蝶の産卵から羽化するまでの動画を見た。命の誕生、成長は、あらゆる動物植物にとって時を要するものだと改めて思った。
 
 今宵は、「初蝶」「蝶」の句を紹介してみよう。

  めまぐるしきこそ初蝶と言ふべきや  阿部みどり女 『図説 カラー日本大歳時記』
 (めまぐるしきこそ はつちょうと いうべきや)

 句意は、あっちへこっちへ翔び回る、その「めまぐるしきこそ」が初蝶だから、そうした蝶を「初蝶」と言うべきよ、そうではないかしら、となろうか。
 
 歳時記には「初蝶」と「蝶」は別の項目になっていたり、一緒であることも多いので、どこが違うのだろうと気になっていた。「初蝶」は、春になって初めて見かける蝶のことで、3月中旬頃には見かけるが、人によって時期は異なるかもしれない。
 その年の春先に「あっ、蝶だ!」と目で追ってゆくと、久しぶりの蝶の翔び方を何とも「めまぐるしく」感じた。そして、そうした翔び方をする蝶を、普通に「蝶」と言うのではなく、「初蝶と言ふべきよ、ねえ、そうではないかしら。」という同意を求めているように感じた。

 阿部みどり女は、明治19年、北海道生まれ。「駒草」主宰。
 
 第二十三夜で、紹介した中原道夫氏の〈初蝶は正餐に行くところなり〉の句がある。初蝶を、白いドレスを着て初めての社交界デビューの晩餐会へどきどきしながらゆく乙女と見た感性もあった。
 
  初蝶は影をだいじにして舞へり  高木晴子 『図説 カラー日本大歳時記』
 (はつちょうは かげをだいじにして まえり)

 句意は、今年になって初めて見た初蝶は、蛹(サナギ)から孵って間もないのか、影を地に落としながら低いところを翔んでいます。まるで己の影を大事に確認しながら翔んでいるようでしたよ、となろうか。
 
 「影をだいじにして」の措辞から、生まれたばかりなので低く翔んでいるという初蝶らしさの姿を見て取っていることが伝わってきた。
 高木晴子(たかぎ・はるこ)は、虚子の五女で「晴居」主宰。

  初蝶の汀づたひに黃なりけり  深見けん二 『菫濃く』以後
 (はつちょうの みぎわづたいに きなりけり)

 句意は、公園の池の汀に沿いながら黄色い一筋となって翔んゆく蝶を見ましたが、今年はじめての初蝶でしたよ、となろうか。
 
 この時の「花鳥来」例会は、文京区の小石川後楽園の吟行句会で、私も出席していた。気づかなかったが小さなモンキチョウであろう。「汀づたひに黃なりけり」から、黃の初蝶がゆっくりと汀に沿って翔んでいる姿が見える。さらに、その様子からは池を翔び越えて向こう岸までゆく力のある蝶なのかどうかということも感じさせる。初蝶に違いない。

 「初蝶」の、幾通りかの姿の作品に出会うことができた。