第五百十夜 松尾芭蕉の「八重桜」の句

 桜の花がすっかり終わり、樹下には紅色の桜蘂が落ちている。桜と入れ替わりのように八重桜が数日前から開き始めていた。今日出かけた四季の里公園は、染井吉野の並木が左手の奥へとつづいていて、八重桜の並木は入口近くの坂道のスロープをゆったりと彩っていた。
 小雨まじりの中で八重桜は見頃になっていた。雨粒の雫が八重の花弁にのり、一層きわやかな濃い桃色となって、枝々の花房たちはしっとりと重たげに揺れていた。
 
 白々と咲き満ちた染井吉野を追いかけた後に、濃く重量感のある八重桜に出逢うという花の咲く順番が好きかもしれない。
 
 今宵はまず、松尾芭蕉の八重桜の作品を見てゆこう。

  奈良七重七堂伽藍八重桜  松尾芭蕉 『泊船集』
 (ならななえ しちどうがらん やえざくら)

 句意は、七代続いた古の都の奈良には、七種の堂宇(一般的には金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂など)を具備した立派な寺院があって、今を盛りと八重桜が咲いていますよ、となろうか。
 
 俳句は、調べの良さが命であり、極端に言えば、調べが良いという1つで、名句となることがある。
 しかもこの句は、「奈良七重」「七堂伽藍」「八重桜」の1つ1つが、奈良時代の7代続いた歴史であり、歴代の天皇が築いた大寺院であり、今は春、庭園の八重桜は真っ盛りなのだ。その豪華絢爛の中には「七」「八」というめでたい数字がある。
 
 絢爛さとリズムの素晴らしさに覚えたのか何時だったか忘れるほど、身体に染み込まれている芭蕉の句の1つである。

 次に、山口青邨の八重桜の落花の作品を見てゆこう。

  八重桜ちぎつて落す風に逢ふ  山口青邨 『雑草園』
 (やえざくら ちぎっておとす かぜにあう)

 句意は、下向きに茎を伸ばした先に八重桜の花は房となって垂れ下がっている、強い風が吹けば重たい花を付けた茎は枝から千切れるほどの、そんな風に出逢ったことがありますよ、となろうか。
 
 細い茎にぽってりした八重桜の花。眺めていると赤ん坊を抱いているような心地よい重量感を感じさせる。勢いよく咲いている花が風に千切れて落ちるところを見かけたことはないが、花が終わって、桜蘂の付いた茎が落ちているのは見かける。

  八重桜ここだ花屑すくふほど  山口青邨 『日は永し』
 (やえざくら ここだはなくず すくうほど)

 句意は、八重桜の散り敷いた花びらというのは、両手で掬うほどたくさんの量なのですよ、となろうか。
 
 東京に住んでいて車の免許更新で小金井教習所に行った時のことだ。隣の公園に立ち寄ると、八重桜の並木道があって、ちょうど八重桜の見事な落花に出合ったことがある。あれほどの分量の花屑の上を歩いたのは初めてであった。

  八重桜落花ふかぶか蹴るべしや  山口青邨『日は永し』
 (やえざくら らっかふかぶか けるべしや)

 句意は、たとえば八重桜の並木道の落花はふかぶかというほどの量ですから、当然、一足ごとに蹴り上げて進むことになりますよ、となろうか。

 前の作品の続きになるが、一足踏むごとに踝までふかぶかと沈む落花を、蹴り上げて前へ進むことはなかなかの力が要った。あの歩きにくさ、あのやわらかな花びらの分量の感触は、いまでも足の踝が記憶している。
 
 この作品は昭和57年、山口青邨先生は90歳であった。〈花屑をすくひては撒く狂へるか〉は、3年後の昭和60年93歳、4月8日の虚子忌での作である。いつまでも心のお元気な先生が素敵だと思う。