今日は、国民栄誉賞の日。日本の内閣総理大臣表彰のひとつ。賞の運用は1977年(昭和52年)8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に従って行われ、当時の首相・福田赳夫により創設され、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」。
1番最初の国民栄誉賞受賞者は王貞治。プロ野球で本塁打世界記録を達成した王貞治氏をたたえるために創設したのが始まりと言われる。これまで、世界5大陸の最高峰登頂した植村直己、歌手の美空ひばり、大相撲力士の千代の富士、漫画家の長谷川町子、俳優の渥美清、森光子、プロ野球選手の松井秀喜、フィギュアスケートの羽生結弦など26人と、女子サッカーチームなでしこジャパンの1団体が受賞している。
9月5日が国民栄誉賞の日となっているが、毎年受賞者があるわけではなく、受賞日も一定してはいない。野球のイチローは3回も打診されたが断っている。これまで受賞を断った人は、プロ野球の福本豊とイチロー、作曲家の古関裕而の3人であるという。
2021年の今年の受賞者の噂はまだ聞こえてこない。コロナ禍の中で、オリンピック2020が行なわれた。ことに、オリンピックの後のパラリンピックの選手たちの、自分に負けない努力の日々は、己1人で得ただけではなかった。支えてくれた人たちへ、どの勝者も1番に感謝の言葉として喜びのコメントを語ってた。
はや2年目も半ばを過ぎ、世界中に蔓延しているコロナ禍は、天が人間に与えた問いかけかもしれない。
そろそろ牛久沼の小川芋銭記念館の沼べりに植えられている竹林が「竹の春」を迎える頃で、書く前に是非見ておきたかったが、コロナ禍で入館は勿論のこと、竹林の見える入口辺りも、車の駐車が禁止されているので見ることは叶わなかった。毎年のように1人吟行でぶらり行っているので、思い出して書いてみよう。
今宵は、「竹の春」の作品をみてみよう。
■1句目
天上に風あるごとし竹の春 佐藤和夫 『猫もまた』
(てんじょうに かぜあるごとし たけのはる) さとう・かずお
句意はこうであろうか。竹は、春に筍が育つため栄養が奪われて葉が枯れ色となるので「竹の秋」といい、秋には新しい葉が生えて薄緑色の葉となる。春先の緑の色のようだ。風が少しでもあれば戦ぎだす竹の春は、天上に風があるのかと思うほどである。
「天上に風あるごとし」と「竹の春」の配合から、立秋を過ぎ、盆も過ぎ、9月に入り、涼しい秋の風が吹いているのではないかと思われる頃の「竹の春」であることが伝わってきた。竹林の薄い緑の葉の戦ぎのなんという美しさであろうか。
佐藤和夫氏は、早稲田大学教授で米国カリフォルニア州立大学研究員として滞米中に、初めてHAIKUと出会い、以後、外国語俳句の比較研究や日本への紹介などに取り組んできた方である。著書に『海を越えた俳句』他。平成17年2月20日、78歳で死去。代表作に〈ひとつづつ春風渡す風船売〉など。
■2句目
化野や風とあそびて竹の春 細川加賀 『細川加賀全句集』
(あだしのや かぜとあそびて たけのはる) ほそかわ・かが
句意はこうであろうか。かつては風葬の地であったという化野に佇っている作者。近くの嵯峨野は今まさに「竹の春」であり、薄緑の葉の竹林は秋の風と遊んでいるように戦いでいましたよ、となろうか。
「化野」は、京都の嵯峨野の奥にある火葬場であり、かつては風葬の地であった。
もう40年以上前のことになるが、私は、嵯峨野の竹林から化野、瀬戸内寂聴の家の門まで歩いた1日があった。その時に見た、化野の8000体もの仏を祀る石仏は、お葬式や供養をする親族や縁者がいなくなった故人やお墓のことであり、みな無縁仏であるとお聞きして、1つ1つの小さな丸い石仏は、寂しすぎて哀しさを感じたことを覚えている。
細川加賀(昭和4‐昭和64年)は、東京出身。肺結核の療養中に「鶴」所属の俳人と知り合う。後に「鶴」に所属。句集に『傷痕』(1973年)『生御霊』(1980年)『玉虫』(1989年)『細川加賀全句集』(1993年)など。