小石川植物園で石榴の可憐な花を見かけたのが最初で、次に見たのが、ぱっくり割れた石榴から真っ赤な粒粒の零れんばかりの実だった。花と実の2つの落差は大きかった。
守谷でも見かけた。肥育から加工、販売に至る「一貫システム」の精肉店の入口近くに石榴の木があるが、お客が多くて待ち時間が長いので、季節には、石榴の花から実まで眺めていた。
赤い石榴ジュースは好きで、時折、洋酒に垂らすことがある。
今宵は、「石榴」の作品を紹介してみよう。
■1句目
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す 西東三鬼 『夜の桃』
(ろじんワシコフ さけびてざくろ うちおとす) さいとう・さんき
西東三鬼の作品に触れたのは、『蝸牛 新季寄せ』を制作する中で見つけた〈水枕ガバリと寒い海がある〉が最初である。『蝸牛 新季寄せ』に入集したのは〈算術の少年しのび泣けり夏〉であった。どの作品もこれまで出会ったことのない新しい感性と表現である。
掲句は、次のようであろうか。露人ワシコフは、三鬼の家のお隣に住むロシア人のワシコフという人。ある日、けたたましい叫び声がする。見ると、露人ワシコフはロシア語で叫びながら、庭の石榴の実を棒切れで打ち落していましたよ、となろうか。
『三鬼百句』の自注に、「ワシコフ氏は、私の隣人。氏の庭園は私の二階から丸見えである。商売は不明。年齢は56、7歳。赤ら顔の肥満した白系露人で、日本人の細君が肺病で死んでからは独り暮しをしてゐる」とある。
三鬼は当時、西洋館、通称「三鬼館」に住んでいた。
この作品の面白さは、ワシコフという異人の奇声が何を言っているのか不明なことと、打ち落された石榴はよく熟れて真っ赤なつぶつぶを見せていることで、この2つが、どこか奇怪な禍々しさを感じさせるのだ。
■2句目
石榴淡紅雨の日は雨の詩を 友岡子郷 『翌(あくるひ)』
(ざくろたんこう あめのひは あめのうたを) ともおか・しきょう
句意は、雨に濡れて透きとおるような緑の葉影に、淡い紅色の石榴の花も、雨に濡れて透きとおるように咲いていますよ、となろうか。
友岡子郷氏は、石榴のやわらかな花びらを「石榴淡紅」というシャープな表現から、次の「雨の日は雨の詩を」というリズミカルな表現へと変化させた。この中七下五の「雨の日は雨の詩を」は、どこか、アメリカ映画「雨に唄えば」の、主人公ジーン・ケリーが雨の中で踊りながら唄う軽快なステップを思い出させてくれる。
「石榴淡紅」は、重く感じさせる石榴の赤い実ではなく、軽やかに唄い踊りだすかもしれない、可憐な花であったのだ。
■3句目
フフフフフ不敵な石榴がひらいた 中村加津彦 『現代歳時記』成星出版刊
(ふふふふふ ふてきなざくろが ひらいた) なかむら・かずひこ
成星出版刊『現代歳時記』で「石榴」の例句を探していたら、中村加津彦氏の掲句と出合った。
句意は、こうであろう。いつ石榴の実がなって、いつパックリと開き、いつ石榴の実と会えるのかと愉しみにしていた作者であった。とうとう、ひらいたぞ、フフフフフ、これが石榴の実というものか。真っ赤で、つぶつぶで、不気味ともいえそうだ。しかも、なかなか不敵な面構えでもあるではないか、と。
河東碧梧桐、荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火など、私も、自由律俳句も好きで読んでいたこともある。だが、中村加津彦氏ほど痛快な作品に出合ったことはないように思う。
中村加津彦は、自由律俳句の俳人で、梶の葉会事務局をしている。