第六百六十四夜 正岡子規の「露ちる」の句

 今年は、お盆の頃の猛暑が過ぎるや、雨の日がつづき、気温は下がり、このまま秋本番の涼しさとなりそうな気配である。
 秋を色で表現すると、昔から白で白秋としてきた。芭蕉も〈石山のいしより白し秋のかぜ〉と、秋を白と詠んでいる。たとえば、逆光に映える芒の穂も白、霧も乳白色、朝早く行く犬との散歩では草の葉に白い露も結んでいる。
 
 昨夜の「千夜千句」では、そうした目に見える白い露の作品を見てきた。
 だが、露のもつ、もう1つの、「消ゆる」「徒(あだ)なし=はかない」という一面も重要で、情感の深さやむなしさが詠われる。「露」そのものも「消える」「はかない」「ぬれてしっとりしている」なども秘めているので、鑑賞はむつかしいかもしれない。

 今宵は、今宵は、「露ちる」の作品の心持ちにかかわる用例を紹介してみよう。

■1句目

  病床の我に露ちる思ひあり  正岡子規 『正岡子規集』講談社
 (びょうしょうの われにつゆちる おもいあり) まさおか・しき

 句意はこうであろうか。この句は明治35年8月21日作。子規が亡くなるのは同年9月19日であるから、亡くなる29日前のことであった。欲しくてたまらなかった「南岳草花絵巻」をやっと入手した子規であった。
 「露ちる思ひあり」は、最晩年の句であることから、絶望的になることもあったのではと思ったが、そうではなかった。最後の最後まで「痛い、痛い」と口には出していたが、何事も決して諦めたりする子規ではなかったのだ。
 
 「露ちる」の露は、一滴の露の玉のごとく美しく輝くものであって、子規は、善きことが降ってきたと感じたのだ。心持ちを詠むことの多い「露ちる」の中で、子規のような明るい句に詠んでいるのは珍しい。

 「南岳草花絵巻」を手に入れたいという子規の熱望は、はじめ不調に終わったが漸く望みがかなった。子規はその結末を恋物語になぞらえて、「病床六尺」に二回にわたって書いた。(『子規歳時』越智二良著)
 
 『病牀六尺』百一には、こう書かれている。
 
○余が所望したる南岳の草花絵巻は今は余の物となって、枕元に置かれてをる。朝に夕に、日に幾度となくあけては、見るのが何よりの楽しみで、ために命の延びるような心地がする。其の筆つきの軽妙にして自在なる事は、殆ど古今独歩というてもよかろう。是が人物画であったならば、如何によく出来てをっても、余は所望もしなかったろう、また朝夕あけて見る事もないであろう。それが余の命の次に置いている草花の画であったために、一見して惚れてしもうたのである。兎に角、この大事な書巻を特に余のために割愛せられたる澄道和尚の行為を謝するのである。(明治35年8月31日)

 南岳は、渡辺南岳。江戸時代後期の画家で、円山応挙の高弟で応門十哲に数えられる。江戸に円山派を広めた。代表作に子規の賞賛した「四季草花図鑑」の「草花絵巻」がある。この絵巻を「渡辺のお嬢さん」と、恋人のように呼んで大切にしていた。
 
 「花は我が世界にして、草花は我が命なり」という言葉を残した正岡子規。晩年の子規が何よりの楽しみとした写生画の題材にもなったのであった。