第六百七十四夜 大石雄鬼の「炬燵」の句

 大石雄鬼(おおいし・ゆうき)さんにお会いしたのは、NHK松山のBS俳句王国に出演したときであった。主宰は倉田紘文先生で、私は2回目の出演であったので、1回目よりは緊張はなかった。無事に収録を終えて、羽田行の飛行機の出発まで随分時間があった。同じ便に予定の大石雄鬼さんにお声をかけて、松山市内の散策をすることにした。
 
 松山城も愚陀仏庵もかつて見ていたので、石手寺にあるという不思議なトンネル、マントラ洞窟へ行った。トンネルの中は真っ暗。ごつごつした手掘りの洞窟の中は、ところどころに仏像とマントラ(仏典の言葉)があった。暗いトンネルの向こう側に出たとき大きく息をしたことを覚えている。
 松山でのBS俳句王国出演から、もう10年以上は経っている。
 
 その後、松山散策デートを覚えていてくださったのだろう、大石雄鬼さんから第1句集『だぶだぶの服』をご恵贈いただいた。

 今宵は、大石雄鬼さんの『だぶだぶの服』の5つの章から作品を紹介させて頂こう。
 
■1・炬燵に穴

  炬燵に穴のこして海を見にゆけり
 (こたつにあな のこしてうみを みにゆけり)

 掲句の穴は、面白い視点だ。若者たちが集まって話し込んでいる炬燵。会話が途切れたとき、1人が、「そうだ、今から海へ行こうよ。冬の海岸にくだける散る白波が、とってもきれいなんだ!」と言うなり、すぐさま炬燵を飛び出た。
 抜け出した炬燵には、座っていた部分がそのまま、「ぬけた穴」「なにもない穴」となっている。

 「穴」は、時に私も覗きこみたくなる魅かれる部分である。『だぶだぶの服』集中には、「穴」を詠み込んだもの10句あった。「穴」だけでも「千夜千句」の1回分に纏めることもできたかもしれない。

■2・夏風邪の男

  青年のやうな茎から曼珠沙華
 (せいねんの ようなくきから まんじゅしゃげ)

 「青年のやうな茎」とは、曼珠沙華の花を支えている細い茎のことであるが、曼珠沙華の豪奢な花の部分を支える茎を「青年のやうな」と捉えたことが素晴らしい。
 曼珠沙華は、じつに不思議な形をしている。1つの茎の上に絡み合ったように咲いているが、花の1つは、花びらが5-6枚、6本の雄蕊、1本の雌蕊から成り立っているものが5-6個あって、この全てが1つの、まさに「青年のやうな茎」の天辺に咲いている。

■3・心臓ふたつ

  菜の花やピーターパンはすぐ驚く  
 (なのはなや ピーターパンは すぐおどろく)
  
 黄色と緑色の菜の花の明るい世界が見えてくる。ピーターパンは、イギリスの劇作家バリーの幻想劇に登場する、永遠に大人にならない少年ピーターパンのこと。少女ウェンディとともに妖精の国で遊んでいるとき、ピーターパンは菜の花を初めて見た。なんてきれいな黄色い花だろう。なんてやわらかな薄緑の茎だろう。
 なにを見ても、少年の純粋さを持つピーターパンは、すぐに驚く。

■4・みな早足

  おいと肩押されて桃の咲いてゐる
 (おいとかた おされて もものさいている)

 ずいぶん昔、このような場面があったような・・。こうした、何気ない場面を何気なく俳句に詠むことは、とっても難しいこと。

■5・うっすらと灯

  ががんぼのふつと埃になりかかる
 (ががんぼの ふっとほこりに なりかかる)
  
 ががんぼは、ハエ目ガガンボ科の昆虫のこと。蚊を大きくした形。翅は透明。体は細長い。黄褐色や黒褐色で、このような形ということは、大石雄鬼さんの感じたように、ががんぼって「埃」になるのかも・・と思わせてくれる。
 「ふつと埃になりかかる」は、想像なのであるが、正確な知識に基づいた想像である。純客観描写の作品のように思えてくるところが凄い。
 
 大石雄鬼さんは、昭和58年、静岡県生まれ。現代俳句協会の「陸」の同人。平成22年、「陸」の編集長。