第七百三夜 皆吉爽雨の「十三夜」の句 

 丸々一週間のお休みをさせて頂いた。その間の嬉しかったことは10月18日の見事な満月に出会えたことで、この日は正しくは「十三夜」の月であった。

 当日、あらきみほの詠んだ句。
 
  コスモス高し夕月の隠れがち
  金星とすこしはなれて十三夜
  月うごかざりちぎれ雲飛ぶごとし
  月光やくさぐさの影くきやかに
  十三夜の月とごつんこ高階に

 5句目は、東京の高層マンションの22階に住んでいる友とお話している中での作。「高いマンションからは満月はどんなふう?」と、お訊きすると「すぐ目の前にあるように見えるのよ!」と。「ごつんこ」という言葉が浮かんだ。
 
 今宵は、「十三夜」「後の月」の作品を見てみよう。
 
■1句目

  りりとのみりりとのみ虫十三夜  皆吉爽雨  『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (りりとのみ りりとのみむし じゅうさんや) みなよし・そうう

 句意はこうであろう。やや寒くなり始めた10月も半ばを過ぎると、初秋の頃の虫たちの鳴き声にくらべてぐんと勢いが減ってきている。リリリーンリリリーンと高らかな音色もトーンが下がってきている。ああ、もう十三夜だなあ、となろうか。

 私も犬と一緒に毎夜、茨城県南の畑道を散歩している。8月から9月の虫の音のまあ、なんとも賑やかだったこと、地上の草叢で鳴いている筈の虫の音が、中空へ上ってゆき、頭上から虫の音が降ってくるかのようであった。
 10月も下旬となったこの頃は、天気のよい日は盛大な最後の鳴き声を聞かせてくれているが、少しずつ減っているように思う。しかもここ数日は、初冬のような寒さが訪れていた。
 
 「りりとのみ」を繰り返して、虫の音のだんだん侘しさを増している様子がよく伝わってきた。まさに十三夜の頃である。

■2句目

  踏みて知る地の寂けさや後の月  角川春樹  『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ふみてしる ちのしずけさや のちのつき)
  
 陰暦8月15日が「十五夜」で、陽暦の9月15日の満月の頃である。後の月は、陰暦9月13日の月で、8月15日の名月と同様、供え物をして祀る習慣がある。後の月では、栗や枝豆を供えたりするので、栗名月、豆名月ともいう。月光は名月の頃よりも澄みわたり、どこか冷たい感じもある。
 
 句意はこうであろう。陰暦8月15日(陽暦9月15日)の十五夜の頃と、陰暦9月13日(陽暦10月13日)頃の十三夜との秋のひと月の気温の差は大きい。散歩に出たのだろうか。大地を踏んだ時の、ひと月前の大地の踏み心地が違っている。どことなく大地に閑かさを感じたのであった。角川春樹氏は、「寂けさ」と表記した。もの寂しさをふっと感じたのであった。

■3句目

  天安門掃かれてありし十三夜  黒田杏子 『現代歳時記』成星出版
 (てんあんもん はかれてありし じゅうさんや) くろだ・ももこ

 句意はこうであろう。黒田杏子氏は、中国旅行で天安門広場を訪れた。十三夜であることを知った上で夜分に訪れたのか、偶然であったのかわからないが、とてつもなく広い天安門は、箒目が見えるほどに掃かれていた。杏子さん御一行は、美しく掃かれた広大な広場に佇って、十三夜の月を見上げましたよ、となろうか。
 
 映画『ラストエンペラー』の、3歳のラストエンペラー清朝最後の皇帝・宣統帝愛新覚羅溥儀が、自由が欲しくて、お供の手を抜け、宮廷を抜け出して天安門広場を逃げ回っていた姿は忘れられない。杏子氏はこの広場から夜空を見上げたのであった。

 これからの、三〇〇夜ほどの「千夜千句」を、楽しみながらゆっくりと一日一日を進めていくことが出来たらと願っている。