第七百四夜 深見けん二の「天高し」の句

 深見けん二先生の第10句集『もみの木』が出来上がり、龍子奥様からご恵贈いただいた。10月16日は、当初「花鳥来」終刊の集いが予定されていたが、急遽、9月15日にお亡くなりになった深見けん二先生を偲ぶ会に変更された。
 
 体調の悪さと戦っていた私は、忸怩たる思いで「偲ぶ会」にも出席することが叶わなかった。当日に配って戴いたという『もみの木』は、数日後に山田閠子主宰から送っていただいた。
 
 美しい装丁である。句集名のもみの木がシンメトリックにデザインされ、まっすぐな幹に沿って、タイトルと作者名『もみの木 深見けん二句集』が金文字と黒文字で1本となっている。手にした瞬間、深見けん二の生涯貫いた真っすぐで清廉な佇まいが伝わってくるようであった。第8句集、第9句集、今回の第10句集と、A6版フランス装である。手にした感触がいい具合である。
 ふらんす堂刊。本文165頁。1頁3句組み。2018年、2019年、2020年、2021年の作品は、全○○○句収録。
 
 今宵は、贈呈されたばかりの『もみの木』から、第1印象で「好き!」と感じた作品を紹介してみよう。きっとこれからも何度でも書いてみたくなるに違いない。
 
■1句目

  虚子語り青邨語り天高し  2018年
 (きょしかたり せいそんかたり てんたかし)

 カルチャーセンターの深見教室から、私の俳句はスタートした。毎回、先生は虚子と青邨の俳句のプリントを用意されて、お話してくださっていた。俳誌「花鳥来」が出来てからも、会員の私たちは順番に、虚子と青邨の鑑賞を書いた。必ず当時の資料に当たることが先生から常に言われたことで、句集などかなり揃えたが、「ホトトギス」誌、「夏草」誌は俳人協会の図書館へ行って調べ、コピーをしてきた。
 天国から「まあ、すぐさぼるのですね!」という声が聞こえてきそうだが、現在は、その時の財産で書いているような気がしている。私たちはけん二先生から、資料を揃えて書く、という基本を教えてくださった。【天高し・秋】

■2句目

  一番の名乗りは我ぞ初句会  2019年
 (いちばんの なのりはわれぞ はつくかい)

 句会では、各自が当日の選を読み上げると、句の作者が名乗る。この日は、1番最初に選ばれた先生が名乗りをあげた時のことで、先生の「けんじー」という、少し伸ばした声音も調子も独特であった。
 
 「一番の名乗りは我ぞ」の句を拝見して、あっ、先生も嬉しかったのだ、と、当時を思い返している。【初句会・新年】

■3句目

  生涯の口伝の一語高虚子忌  2020年   〈その折の慈顔は今も虚子祀る 2019年〉  
 (しょうがいの くでんのいちご こうきょしき))

 「口伝の一語」は、虚子の「花鳥諷詠」であろう。私は、虚子の「俳句は花鳥諷詠詩である」を心から納得するのには、随分と時間がかかった。先生に学び、虚子研究会にも所属し、虚子俳句の輪講にも参加した。そうする中で、資料に当り、文章に纏めることの機会を与えてくださり、それは、けん二先生の指導法であったように感じている。
 思い起こせば、有り難いことであった。【虚子忌・春】

■4句目

  膝抱いて見し青春の鰯雲 2020年
 (ひざだいて みしせいしゅんの いわしぐも)

 第10句集『もみの木』の中で、この作品が1番好きな句であったが、先生が98歳の作であることに驚き、じつに若々しい作品であることに驚かされもした。
 「膝抱いて見し」は、昔もそうであったかもしれないが、この作品を詠んだ折も、若き青春時代にそうしたように、ケアホーム「もみの木」の部屋のベッドに膝を抱えるようにして座って、窓から鰯雲を眺めていたのではないだろうか。

■5句目

  毎日を老と戦ふ子規忌かな 2020年   
 (まいにちを おいとたたかう しききかな)

 この年に98歳になられた先生。句会をなさり、選をなさり、俳句界の大御所ですから俳句を発表し、原稿をお書きになっていらした。欠席投句の私にもお手紙を添えてくださっていた。
 正岡子規は明治28年、子規28歳の時に大喀血をしてその後、脊椎カリエスとなり終に寝たきりになった。膿を持った身体はいくつも穴が開き、痛みは足へ移り、痛みを口に出しながら、寝たままで俳句革新、短歌革新、文章革新と成し遂げた。
 俳句では、弟子の虚子と碧梧桐が、子規の言葉を書き留めた。子規はアンパンを食べ、大声で「痛い、痛い」と叫びつづけたことが戦う原動力であったかもしれない。
 
 けん二先生の戦っているのは老。百歳間近の体力と精神力を保つことは、毎日、一瞬一瞬との戦う気力なのであろうか。
 〈露の身を励まし合つて老夫婦 2020年〉と詠まれている。
 先生のお仕事を、影に日向に、時にユーモアたっぷりに、美味しい食事を拵えて支えていらした。
 
■5句目

  衰へる妻傍らに雛祭  2021年
 (おとろえる つまかたわらに ひなまつり)   

 一回り違いの奥様も、90歳近くなられた。体調の崩されたというメールを頂いたことがあって心配した。数年前になるが、清瀬で句会があった後、ご自宅の玄関先まで行って、手を握らせて頂いた。
 
 こうした先生と奥様の姿を、何度か拝見したことがあるが、先生は、騎士(ナイト)のように奥様を守っていらした。現在はけん二先生も辛いことがあるかもしれないが、奥様を労ることは変わることはないと思っている。龍子様は、素敵な小物がお好きで、玄関には年代物の紙雛が置かれていたことを思い出している。ケアハウス「もみの木」にも、こうした格の高い小物を飾っていらっしゃるのであろう。

■6句目

  春の風邪心の風邪と妻はいふ  2021年
 (はるのかぜ こころのかぜと つまはいう)

 この作品の句意を探ることは難しい。ずっと考えていたが、メランコリックになりがちな「春の風邪」を「心の風邪」と捉えた龍子奥様の感性はすばらしい。

■8句目

  先生はいつもはるかや虚子忌来る  2021年
 (せんせいは いつもはるかや きょしきくる)

 けん二先生にとっては慈顔の虚子先生。虚子先生にとってのけん二先生は、いつも真っすぐな目を向けてくれていた最晩年の愛弟子であった。そんな私でありたい。