第七百十五夜 石橋秀野の「ゆく秋」の句

 宮沢賢治作『注文の多い料理店』の「注文の多い・・料理店ってなんだろう?」と、最初に読んでから何十年と経っているのに、はたと「注文」に拘ってしまった。この料理店の店主の山猫のお客への注文は、ドアの1つ1つに書いてあった。
 【どなたもどうかおはいりください。決してご遠慮はありません。】
 【ことに太ったおかたや若いおかたは、大歓迎いたします。】
 【当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。】
 【注文はずいぶん多いでしょうがどうかいちいちこらえてください。】
 【お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。】
 【鉄砲と銃弾をここへ置いてください。】
 【どうか帽子と外套と靴をおとりください。】
 【ネクタイピン、カフスボタン、めがね、さいふ、その他金物類、ことにとがったものは、みんなここに置いてください。】
 【壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。】
 【クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか。】
 【料理はもうすぐできます。
  15分とお待たせはいたしません。
  すぐたべられます。
  早くあなたの頭にびんの中の香水をよく振りかけてください。】
 【いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
  もうこれだけです。
  どうかからだじゅうに、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。】
 【いや、わざわざご苦労です。
  たいへんけっこうにできました。
  さあさあおなかにおはいりください。】
  
  今回、本書を読み直した私は、この山奥の料理店にやってきた2人の若い紳士に、なにが・・起こりそうだったのか、やっと気づいた!

 今宵は、「行く秋」の作品を見てみよう。

■1句目

  ゆく秋やふくみて水のやはらかき  石橋秀野 『新歳時記』平井照敏編
 (ゆくあきの ふくみてみずの やわらかき) いしばし・ひでの

 明治42年生まれの石橋秀野であるから、家で口にする水は井戸水であったろう。水質をみると、地中での滞留時間が長いためカルシウムイオンのようなミネラル成分が多く溶け込んでいる井戸水の味は、「やわらかく」て「おいしい水」であるという。

 句意は、秋も終わる10月末から11月上旬の頃、井戸から汲んだ地下水をごくごく飲んだ時、秀野は、水の美味しさを感じた。夏に飲んだ時と秋の終わりのに飲む水には温度差はないと思はれる。この水の美味しさは、涼しさの増す晩秋には「のど越しのやわらかさ」となって感じたのであろう。
 
 もう60年ほど昔になるが、遊びから帰って、ごくこく飲んだ井戸水は、確かに「おいしく」て「やわらか」であった。

■2句目

  ゆく秋の耳かたむけて音はなし  高木晴子 『現代歳時記』成星出版
 (ゆくあきの みみかたむけて おとはなし) たかぎ・はるこ

 句意は、秋の季節が去ろうとしている日々、あたりへ耳を傾けてみましたが、しいんとしていて、音はありませんでしたよ、となろうか。

 上五「ゆく秋の」の「の」は、「や」よりもやわらかで、「や」の切字と同じ働きであろう。一拍の切れが入ったことで、読み手の興味は「耳かたむけて音はなし」へと移っていった。夜も更けた時間帯かもしれない。あたりは鎮まっている。虫の音も、9月、10月と日を追うごとに少なくなってきた。
 
 もう間もなく、立冬を迎えることになる。