第九百五十六夜 正岡子規の「八月」の句

 八月の夏で思い出すことといったら、夫が長崎東高校で教員をしていた当時の教え子たち・・クラスの子ではなく、もっぱら軟式テニス部の顧問であった頃の子たちが、夏休みに、東京に住むようになった私たちの2部屋のアパートに大勢で遊びに来ていたことであった。
 夫は、出版社を立ち上げる前で、雑誌社に勤務していて、何時から何時までが仕事時間なのかと思うほど、ほとんど真夜中か夜明けに帰宅していた。
 幼いわが子がパパと顔を合わせるのは、お昼前後・・出かける時であった。玄関にちょこんと座り込んだ2人は、「いってらっしゃい!」ではなかった。声を揃えて「またきてね~!」と手を振っていた。
 
 大勢でやってきた元生徒たちは、泊まっていくことがあった。ある晩は13人も・・どうやって寝たのか思い出せないほどぎゅうぎゅう詰めであったことだけは覚えている。

 今宵は、「八月」の作品をみてゆこう。


  八月の太白低し海の上  正岡子規 『蝸牛 新歳時記』
 (はちがつの たいはくひくし うみのうえ) まさおか・しき

 「太白」は何だったかしらと思って、この作品を鑑賞してみようと選んだ。太白は、金星であった。金星、月、北斗七星の位置くらいは知っておきたいと、じっくり調べたのは一年前であったのに、また、星座の本を引っ張り出してみた。何しろ地球も月も動いているから、毎回のように悩むことになるのだ。

 掲句は、子規が四国の松山に住んでいた頃かしら、それとも、日清戦争に従軍記者として出かけ、戻って来たときの明石の海の上に見た太白であろうか。大きく見えたことと思う。


  八月を病む少年の変声期  石川青狼 『現代歳時記』成星出版
 (はちがつを やむしょうねんの へんせいき) いしかわ・せいろう

 中学生の夏休みが終わって、新学期が始まり、教室でがやがや話していると、男の子が大人っぽくなっていることに気づいたことがあった。授業が始まり、質問されて答えている男の子の声の変化に気づいた先生が、「オッ、この夏に声変わりしたな!」と、言っていたのを思い出した。
 
 あの頃は、こうした変化に気づくと、子どもというのは無慈悲なところがあるから、笑ったりからかったりする。先生が皆の前で言ってくれると、クラス中が笑うが、この一回でお墨付きとなる。

 長い夏休みの間というのは、男の子には変声期があり、女の子には胸が膨らむなど、様々な変化が生まれる時なのであろう。


  礁打つ浪に八月傷むかな  秋元不死男 『新歳時記』平井照敏編
 (いくりうつ なみにはちがつ いたむかな) あきもと・ふじお

 礁(いくり)とは、水面に出ていない岩のこと。海の中にあって「礁打つ浪」は、目に見えることはないが、果てなく打ちつづける浪によって、確かに傷みつづけていたのであった。普通に考えれば傷んでいたのは「礁(いくり)」であろうが、秋元不死男は、傷んでいたのは「八月という時の塊」であると感じたのだ。

 秋元 不死男(あきもと・ふじお、1901年11月3日 – 1977年7月25日)は、神奈川県横浜市出身の俳人。東京三(ひがし・きょうぞう)と号した時期があった。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄されたりした。戦後は「天狼」参加を経て「氷海」を創刊・主宰。劇作家の秋元松代は妹。