第九百七十九夜 高田風人子の「虫の宿」の句

 9月19日は敬老の日であった。敬老日の句を我が身の句として詠んでみたくなる歳になってしまった。「千夜千句」のゴールを11月10日の我が誕生日と目標を立てていたが、順調に進めば10月半ば・・千日業は、すこし早めに終えそうである。「千日回峰」は、夫の好きな言葉のようで、短冊に書いて、毎日のように私も目にする壁に貼ってある。
 あらきみほのブログの名を「千夜千句」としたのは、その影響もあるのかもしれない。
 
 千夜を目前にして次のように詠んでみた。
 
  敬老日ごろごろさまも天翔けり
  ながらへて無花果ケーキとや嬉し
  人生のなつかしぐさのこの辺り
  友に逢へぬコロナの秋の三年目

 3句目の「なつかしぐさ」は「撫子」の古名だそうである。

 今宵は、「虫」の作品を見てみよう。


  客来しと一體誰や虫の宿  高田風人子 『ホトトギス歳時記』
 (きゃくきしと いったいだれや むしのやど) たかだ・ふうじんし

 当時経営していた蝸牛社の『蝸牛新季寄せ』には、季題「正月」の例句として高田風人子の〈よその子を抱いて炬燵にお正月〉の作品が入っている。
  
 『蝸牛新季寄せ』の例句を最終的に決定するのは、いくつもの歳時記や全国の結社誌に当たり、たくさんの作品の中から選んだ編集委員の方々である。なかなか決まらない例句は、編集会議を重ねて最終決定をした。蝸牛社の一員として私も立ち会っていた。
 
 掲句はこうであろう。夜のこと、風人子さんの自宅に訪ねて来た人がいた。「お客様ですよ。」と、家人が風人子さんの仕事部屋へ来て告げた。
 「こんな夜に、いったい誰だろう! 虫の音がやけに賑やかになったと思ったが・・!」と言いながら、玄関へ出ていった。虫の宿とは、旅館などではなく、風人子さんのご自宅の庭であったのだ。
 
 「一体誰や」という口語体の中七が、いかにも飄々とした高田風人子らしさの詠み方である。


  虫を聞く程の心をとりもどし  安積叡子
 (むしをきく ほどのこころを とりもどし) あづみ・えいこ

 私は一度だけ、叡子さんにお目にかかったことがある。平成28年の「花鳥来」は、百号記念祝賀会と総会を兼ねていた。何事もひそやかな会であったが、創刊25年目となるこの日ばかりは、千原叡子さんを始め、深見けん二主宰のご友人方がたくさん御来席くださった。
 虚子の小説「椿子物語」の主人公の千原叡子さんを前に、どきどきした。これほど美しく、本当に実在した方が小説の主人公であったのだ。私は、〈椿子物語のお方がここに風薫る みほ〉と、一句詠んだ。
 掲句の作者名の安積叡子は、千原叡子の結婚前のお名前である。

 さて、作品は次のようであろうか。
 なにか他のことに心を囚われている時、夢中になって他のことをしている時には、虫の鳴き声は耳に入ってこない。だが心が落ち着いた瞬間から、「なんて煩いのかしら・・」と思うほどの音量となる。
 「虫を聞く程の心」の「程の」は、ちょうどよい程度、となろうか。

 安積叡子さんのお父上は安積素願(あづみ・そがん)。素願さんは、娘の叡子さんが生まれた後に視力を失ったという。ホトトギス主宰の高浜虚子が関西を訪れた折に、一泊したのがホトトギスの作家である安積素願のお屋敷であった。
 その時に、つねに素願に肩を貸して歩いていたのが叡子さんであったという。肩に手を置かねば歩けないのに、父素願は、普通の盲人のように杖をつくことはしなかった。当時15歳の少女であった叡子さんの肩に無造作に手を置いて、まるで目の見える人のように歩いたという、闊達な素願さんであった。
 
 その父が亡くなった。悲しみは深かったけれど、いつしか・・いつのまにか、庭の虫の音に耳をかたむけるほどのゆとりが生まれてきていることに、若かった叡子さんの心は気づいたのであった。