第九百八十二夜 山口青邨の「秋の声」の句

 1938年9月28日、豪華客船クイーン・エリザベス号がイギリスのグラスゴーで起工した。クイーン・エリザベス2世号は豪華客船。1969年に就航し、主に大西洋横断クルーズや世界一周クルーズを行い、日本にも何回か寄港したことがあるという。蝸牛社を経営していた40年ほど前のこと。依頼していた著者の原稿が、今のようにパソコンにメールで入ってくるのではなく、クイーン・エリザベス号からFAXで届いたことがあった。
 
 著者は、世界一周の旅行中であったのだ。丸い地球の反対側から、FAXは音を立てながら、用紙が流れるように送られてきた・・。じっと眺めていた私には、何枚かの原稿が届くには随分と長い時間がかかったように思われた。
 しかもファクシミリの器械もまだ初期の頃であり、丸い地球の反対側から流れてくるごとく、一枚の紙に文字となって流れてくるのだ・・不思議な感動を覚えた。
 
 今宵は、「秋の声」の作品を見てみよう。
 

  北上の渡頭に立てば秋の声  山口青邨 『山口青邨句集』
 (きたかみの ととうにたてば あきのこえ) やまぐち・せいそん

 「渡頭」とは、渡し場の辺りのこと。平成9年10月、私はこの渡頭に立っていたことを思い出した。
 
 山口青邨は、青森県盛岡市の出身で昭和63年(1988年)12月15日に亡くなられている。私たちの師の深見けん二も青邨と同じ東京帝国大学第二工学部冶金学科卒である。
 深見けん二先生が、青森県北上市にある日本現代詩歌文学館俳句セミナーで講演することになったことから、「花鳥来」会員はこぞって一泊旅行を兼ねて参加した。北上市に到着した日は、皆で北上川辺りを散策した。大きな豊かな流れの川であった。私たちは「渡頭」に立ったのであった。
 
 掲句は次のようであろうか。10月の、北上川の渡頭は秋の川風が吹いていた。北国は秋といっても既に寒さを感じるほどであり、川風はヒューヒューと音をたてて、もの寂しさの鋭い響きがあった。
 
 私はこの日、夕食前に行われた句会で、次の句を投句した。
  
  青邨も又三郎も青あらし  みほ
 
 「又三郎」は、宮沢賢治の『風の又三郎』のこと。この句会に集ったのは、「花鳥来」の東京勢と、古くからの青邨の弟子の「夏草」の方たちであった。
 珍しく点が入った句であり、青森県北上市の地を踏むことがなかったら、生まれなかった句であったと思う。


  遠声か夜空に満つる秋の声  阿部次郎 『新歳時記』平井照敏編
 (とおごえか よぞらにみつる あきのこえ) あべ・じろう

 葉が落ちる音、さざ波の音、書物の頁を繰る音など、どんなものにもある秋の響きである。そうした様々な音は、人間の住む地上から遙かなる夜空へとのぼり、あつまる。
 満天の星々がにぎやかにさざめいているように、外界の人々が感じるのは、秋の澄み切った夜空だからであろう。
 
 秋の声である。