第九百八十四夜 高浜虚子の「秋風」の句

 長崎市の松山公園の向かい側にある私立活水高等学校で、英語教師を4年間していた。長崎市は東京と比べると気温が高い。1学期が終わり夏休みが終わり・・2学期の初日のことだった。
 大学時代は2学期の初めには、秋の装いを取り入れて誰もがお洒落して登校してくる。そんなことを思いながら、長崎で初めての2学期に、新調した秋服を着て、1時間目の教壇に立った。生徒たちは可笑しそうにしている・・なぜだろう、と思いながら授業を始めたが、暑くてたまらない!
 「今日は暑いのねえ! 長崎の2学期の初めはいつもこんなに暑いの?」と訊くと、皆くすくす笑っている。私は汗が出てきた!
 「なんで笑っているのかしらね!」と言うと、「荒木先生、長袖のワンピースで暑くないのですか?」と、逆に聞いてくる。あらッ、ほんと! 長袖だから暑いのだわ! 着替えることもできず、夕方まで我慢していたが、忘れることのできない一日であった。
 
 もう1つは、大学時代の2学期。大学の2学期のスタートは9月1日ではなく9月の中頃であったので、高校時代の2学期のスタートの感覚は忘れていたのかもしれない。学校にクーラーが入るようになったのは何年頃からであろう? 当時は暑かった!
 
 今宵は、晩秋生まれの私の好きな「秋の風」の作品を、もう少し紹介してみよう。


  秋風や眼中のもの皆俳句  高浜虚子 『五百句』明治36年作
 (あきかぜや がんちゅうのもの みなはいく)

 制作した明治36年は、正岡子規が明治35年9月17日に亡くなって、一年目の頃で、虚子は「ホトトギス」を継承していた。
 日本の夏はねっとりと纏いつくような暑さである。この蒸し暑さを吹き払ってくれるのが秋風である。秋の訪れを喜んでいる虚子は、「秋風」の季題と存分に取り組むことができるから、目に入るものは片っ端から五七五の俳句になるのだという。
 
 「眼中のもの皆俳句」には、湧き上がる俳句に、気持ちを抑えることができないほど勇む心で俳句に向かっていた虚子が見えるようである。


  阿蘇山頂がらんどうなり秋の風  野見山朱鳥 『野見山朱鳥全句集』
 (あそさんちょう がらんどうなり あきのかぜ) のみやま・あすか

 阿蘇山の山頂へは、2回行ったことがある。山頂から火口を覗いたのは、夫と私が二人とも長崎市内の高校で教員をしてい頃で、夏休みの終わる前に島原の夫の実家へ帰った時であった。阿蘇山は熊本県と大分県にまたがっている。島原から熊本へはフェリーで往き、さらに阿蘇山の火口までは車で行った記憶がある、また火口近くに柵はなかったように記憶している。火口の中はどうなっているのか覗きたかったが、身を乗り出だすのは怖くて出来なかった・・もう55年ほど昔のことである。
 
 掲句は次のようであろうか。野見山朱鳥は阿蘇山へ登ったのは俳句の吟行であったかもしれない。「がらんどう」は、だれもいなくてだだっ広い、という意味。夏休みには登山客もいるが、夏も終わり、秋風の吹く頃には、土日でもなければ人は少なく、まさに「がらんどう」という感じであったと思われる。
 
 あの広々とした阿蘇山の山頂が、なおも広々と感じさせるものは、秋の風であり、縦横自在に吹き渡っているからであろう。
 
 野見山朱鳥は九州福岡県出身の俳人。「ホトトギス」の高浜虚子に師事し、後に「菜殻火」を主宰する。