第千夜 深見けん二の『もみの木』より

 ブログ「千夜千句」の第千夜は、私の俳句のはじまりの頃のお話をしておこうと思う。当時住んでいた練馬区谷原の家からは車で10分もかからない場所の都営地下鉄大江戸線「光が丘駅」に、練馬区最大級の大型ショッピングセンターima(イマ)ができた。光が丘ショッピングセンターには様々な教室ができ、その1つが「俳句教室」であった。
 
 私どもの経営していた出版社「蝸牛社」は、俳句シリーズをスタートさせたばかりの頃であった。新聞のチラシで「俳句教室」を知った私は、蝸牛社の仕事のためにも、俳句をきちんと学んでおきたいと、俳句教室に入ることにした。
 「深見教室」に入会した私は、40代の若さで実作の初心者であった。60歳から70歳のベテランのおじさまたちに囲まれて、〈恋などせん太つちよ猫の塀の上〉など、へんてこな17文字を詠んでは笑われたが、1年後の句会で、〈一日をまつしろにして雪が降る〉の句に点も入り、先生からも誉めていただくことができた。

 句集『ガレの壺』は、俳句を始めてまだ9年目に刊行した。父を亡くしたばかりの私は、俳句を詠むことが辛くなっていた。句集を作ろうと思ったのはその頃であった。
 あとがきに、「炎環」主宰の石寒太先生は次のように書いてくださった。
 「この句集は、父の逝去で結ばれている。俳句歴9年、そのみほさんが父の死に会い、それをひとつの区切りにしたかった。その意図が、この句集にはっきりと見える」と。

 今宵は、けん二先生の最晩年に絞って第8句集『もみの木』の作品を紹介である。


  真黒な犬曳き銀杏落葉道  2020年
 (まっくろないぬひき いちょうおちばみち)

 ノエルよ! 偉大な俳人深見けん二先生からよその飼犬を俳句に詠んでもらえるなんて・・恐らくノエルしかいないと思いますよ! 句集『もみの木』に、この句を見た飼主の私がびっくりしたのだから! 
 
 句集『もみの木』には、「花鳥来」のメンバーの「あの人のことかしら?」と判る作品がある。私には犬のノエルの句を詠んでくださったように、その人が読めば「ああ、私のことかしら!」「僕のことかな!」という作品が収められているかもしれない。
 けん二先生が「花鳥来」の結社を立ち上げるとき、会員を60名ほどと決めたのは、目と心が行き届く範囲・・と書かれていたことを思い出している。
 
 今宵は、句集『もみの木』の、後半の2020年と2021年の作品を紹介させていただく。


  かむながらなる若水の靄立てる  2020年
 (かむながらなる わかみずの もやたてる)

 「かむながら」とは、神のお心のままに、ということであるという。
 「若水」とは、元旦の早朝、井戸や湧水から1番最初に汲む水のことをいい、1年の邪気を払う縁起のよい水といわれる。この若水を汲むことが「若水迎え」である。
 
 かつて「花鳥来」の1月の新年句会では、けん二先生のご自宅のある所沢市下安松近辺を、それぞれ吟行し、7句を作り上げてから句会場に行っていた。川があり雑木林があり崖があり、確か「ハケ」と呼んでいたと思うが、川の片側は崖になっていた。1番向こうまで歩いてゆくと、水飲み場があったと記憶している。自然の中の湧水は、寒中の早朝など湯気のような靄が立っていた。これも「若水」であろう。
 
 初詣は、毎年必ず神社に詣るほどではなかったが、父も俳句の結社に所属していたので、私は運転手として都内の神社をあちこち巡ったことがある。
 早朝の若水に湯気のような煙を見た。若水に見る靄は、かむながらであり、自然という神のお心のままに立つ靄であったのだ。
 
 この作品は、「かむながら」という古語に惹かれて鑑賞をした。


  春の風邪心の風邪と妻はいふ  2021
 (はるのかぜ こころのかぜと つまはいう)

 春は確かに、何という理由があって心がブルーになるわけではないのに、身体の具合が悪いというわけでもないのに、なぜか憂鬱・・なぜかいらいらする。こうした症状を「心の風邪」というのだそうだ。
 
 深見けん二先生の奥様は、とても明るいお方、すてきな一と言を掛けてくれるお方。ちょっとしたメールにも、ハガキにも最後に「魔女より」と書いてあって、この言葉はまさに特効薬である。年中不機嫌な夫もたちどころにニコッとするほどの効き目がある。わが家は夫婦ともども龍子魔女の大ファンである。

 けん二先生は、龍子奥様にとって不機嫌な夫になることはなさそうであるが、俳句の世界では、大御所であり、多くの仕事をこなしてお忙しかったから、春の風邪にもかかることも、ブルーになることもあったであろう。
 奥様から「気にしない! 気にしない! 心の風邪なのよ!」と言われれば、たちどころに心が軽くなるにちがいない。

 刊行の直前にお亡くなりになられているので、けん二先生は、句集『もみの木』はご覧になっていらっしゃらない。謹呈カードには龍子奥様の次の言葉があった。
 
 「生前は大変お世話になりました。
 故人の最晩年の句集ができました。
 お目をお通しいただければ幸いに存じます。」

 深見龍子様による言葉とともに、次の最後の2句にとどめられた深見けん二先生のお心を思いながら、私の「千夜千句」も終わりとさせていただくことにしよう。
  
  師の許に参る日近き虚子忌かな   2021
  先生はいつもはるかや虚子忌来る   2021

 最後に、この「千夜千句」に立ち寄ってくださった方々に、心より御礼を申し上げます。思いもよらぬほど多くの方々がお読みくださったことをブログ運営事務所からの数字で知りました。
 しばらくの後、再び、俳句に関わるブログを始めることができましたらと考えております。

 本当にありがとうございました。  あらきみほ