「千夜千句」も、あと2夜となった。俳句の入口は、荒木清の知り合いの「炎環」主宰の石寒太さんであり、句会の二次会の酒席であった。百万本清は夜な夜な飲んでばかりの印象であったが、終に、俳句の道へ引かれていった。もう40年以上になる。この道の先輩たちは5、60年の句歴の方はたくさんいる。
「千夜千句」を、ほぼ毎夜綴っているが、あと2日を終えた千一夜目、紹介してきた何千人もの俳人と俳句の、名簿と作品の一覧表をお見せするつもりである!
今宵は、俳句の道に引き込んでくれた百万本清に、じつは感謝している気持ちから、アンカーに近い、第九百九十九夜の登場となった。百万本清の作品を紹介してみよう。
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今生に訪ねる蓮の中尊寺 百万本清 2022年
(こんじょうに たずねるはすの ちゅうそんじ) ひゃくまんぼん・きよし
蓮は、中尊寺参道脇の木漏れ日の中で、「中尊寺ハス」と名づけられて咲いていた。
まさに「今生に訪ねる」ことが出来て、私たちは、中尊寺ハスの咲く「時」に間に合ったのであった。
中尊寺住職の佐々木邦世さんは、邦世さんの姉の栄子さんと小説家の内海隆一郎さんがご夫婦であり、荒木が仕事の関係で内海隆一郎さんと親しくしていたことから、中尊寺に招かれる奇遇を得たのであった。
運転手として同道した私も、藤原三代の棺の横に置かれた首桶の中にあった大賀ハスの実とその行方を知ることになった。
中尊寺脇の水田で大賀ハスが咲くことになった経緯は、以前「千夜千句」でも書いているが、その大賀ハスの花の1番目に開花した日に電話をくださり、その夜、東北道を走って夜明けの2番目の開花を見たことが中尊寺ハスとの関わりの始まりであった。
25年前、「蓮を見に見にいらっしゃいませんか!」と、お電話くださったのが中尊寺住職の佐々木邦世さんであった。私たちは真夜中に車を飛ばして、朝の開花に立ち会うことができた。
25年後の今回、今年の7月22日、蓮の咲くころに、長崎東高校で倫理社会の教員であった頃の教え子の佐藤尚くんが、中尊寺まで車を走らせてくれたのであった。中尊寺でお逢いしたのは此度も佐々木邦世さんであった。
今回は、中尊寺の金色堂をはじめ、数々の秘宝を邦世さんのご案内で見ることができた。
中尊寺の住職は皆、喜多流のお能の修行もしているということを、そのとき知った。
11月6日、国立能楽堂で友枝会の公演のお誘いをうけた。演目は「翁 白式」。お能は、ある意味シュール! よく分からないながらも異次元空間の数時間は、楽しい時間である。
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馬鈴薯植う曼荼羅五仏置くがごと 『円穹』
(ばれいしょうう まんだらごぶつ おくがごと)
百万本清の一文がある。
「農耕一心
土を耕す
このことがこれほど好きに
なるとは
われもまた農耕民族
集中の一刻のあとの開放感
雑念は少し消えている」
今、秋の収穫期。かつては食べきれないほど作って困惑していたが、近頃は食べきれるだけの収穫量になるように種蒔の頃から調整している。お陰で食生活は、ほうれん草、さつま芋、じゃが芋、ピーマン、青唐辛子と案配よく暮している。
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梅雨の海綱引け網引け力来よ 『円穹』
(つゆのうみ つなひけあみひけ ちからこよ) 「炎環」では年に1回、泊りがけで吟行会が行われていた。
石寒太主宰の「炎環」には、金子兜太先生も百万本清も所属していた時期があった。百万本は、金子兜太先生から「君の手伝いは何でもするよ」と言われていた。あらきみほ編著『子ども俳句歳時記』『小学生の俳句歳時記』では、監修者として名を連ねてくださった。
その兜太先生から伊東市の「地引網俳句大会」に誘われた百万本は、「梅雨の海綱引け網引け力来よ」で特選をもらったという。
吟行に参加した百万本は、帰宅するや、
「おい! 金子兜太の特選をもらったぞ!」と、威張っている。
「ほんとね! 力強い調べの、よい作品だわ!」と、私。
この「炎環」吟行会には、金子兜太先生も出席していた。金子兜太も石寒太も、「寒雷」主宰の加藤楸邨に師事していた。
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かなかなのかなかなかなと素十の碑 『円穹』
(かなかなの かなかなかなと すじゅうのひ)
この句は、私の所属していた深見けん二主宰「花鳥来」の北浦吟行句会に、私を車で送り届けてくれたときのもの。深見けん二先生が、「荒木さんも俳句をおやりになるのでしょう! まあ、上がって、句会に参加してください!」と、仰ってくださった。
一瞬戸惑っていたが、次の瞬間にはこの作品を詠んでいた。
披講が始まり、最後にけん二選の7句が読み上げられた。そこに・・百万本清の句が読み上げられたのであった。
出版社「蝸牛社」では、俳句の本を多く作っていたこともあって、他の結社の句会に呼ばれて参加することもあった。
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石段の窪みのつづく若葉風 『円穹』
(いしだんの くぼみのつづく わかばかぜ)
遠山博文さんの評がある。
「初夏。風が吹き、道の両脇の若葉を揺らして、ほのかな音をたてている。その動きがあるところがいい。石段の窪みという歳ふりた「歴史」の上を「現今」の若葉風が吹く。その構図がいい。そこに何か深みを感じる。その窪みは有名、無名の数々の人々が歩いたためにできたものであろう。その人たちはどうなったであろう、どこに消えて行ったであろう、と問うても、風は答えない。」
百万本は云う。
「農耕を始めたせいか、
季節の変わりに敏感となる
そして、季節の大切なことも
自然にさからわずに植物を植え、育てる。
このことが身をもって分かってきた。」