「千夜千句」が終わりそうな第九百九十九夜の頃であった。この日、長い友人から国立能楽堂のお能のお誘いをいただいた。
「千夜千句」のことには何も触れず、千駄ヶ谷の駅から銀杏並木道を歩いて、能楽堂の苑内に入った。少し早めに着いた私たちはベンチに腰掛けて、秋晴れの真っ青な空を見上げていた。
能楽堂では、二列目の正面席であった。
この日の友枝會の能の演目は、友枝昭世のシテ「翁 白式」、友枝雄人のシテ「猩々乱」。パンフレットを見ると、「翁 白式」を勤めるのは、一代に一回と銘記されている大きな演目であるということも知った。さらに、夫の古い知り合いの、中尊寺住職佐々木邦世さんの甥の佐々木多門さんのお名前を後見の中に見た。
俳句を始めた30年前に、高浜虚子が能楽堂を作るほどお能が好きであることも知ったことから、初めての薪能を観に、夫と娘と私と、中尊寺まで交代で車を飛ばしたことも思い出された。
今宵は、11月6日に国立能楽堂で「翁白式」「猩々乱」を観た。あらきみほの句を紹介しよう。
■11月6日 国立能楽堂
1・すり足の翁白式さやけしや
(すりあしの おきなはくしき さやけしや)
2・白式の白き揚幕さやけしや
(はくしきの しろきあげまく さやけしや)
1の「すり足」とは、重心の位置を身体が揺れたりぐらついたりすることなく、舞台上を安定させて歩くための方法であるという。初めてお能を観たとき、まず「すり足」の歩き方に目が行った。白足袋のつま先が、すり足の一足ごとにピュッと上がる。
2の「白式の白き揚幕」は、驚いた瞬間であった。能役者が鏡の間から出てくるとき、揚幕がさっと引かれるように上がりさっと閉じることは知っていた。通常の揚幕は明るい色彩の縦縞だが、白式では、揚幕の上に白い揚幕が被せてあって、白式の白い揚幕は、一瞬のうちに剥がされ、元の明るい揚幕に替わる。
一瞬だが、白い揚幕があったことが観客には残像として残るのではないだろうか。
「白式(はくしき)」の面(おもて)は、神の面であり神聖な祝い事で演じられる際に付けるという。普通の面よりも塗りが白い。
その白さを、俳句の季題「さやけし」として詠んでみた。
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3・秋うらら猩々乱能楽堂
(あきうらら しょうじょうみだれ のうがくどう)
「猩々乱」はこの日の演目で、観ていて一番わかり易かった。「猩々」の能面は赤っぽい色で、酒気を帯びているからとも思ったが、人間の明るさの表現とも感じた。
4・神宿る松を背に舞ひ冬はじめ
(かみやどる まつをせにまい ふゆはじめ)
影向の松を背に舞ひ冬はじめ
(ようごうの まつをせにまい ふゆはじめ)
この作品を詠むにあたって、どの能舞台の背景の鏡板にも描かれている「松」の絵を思った。調べてみると、松には「神宿る松」という意味があり、「影向の松」と呼ぶことを知った。
「影向」とは、神仏が一時姿を現すことであるという。
この国立能楽堂の一日は、「千夜千句」が無事に終えたことへの、友からのご褒美であった。そう受け取らせていただいた一日であった。