第九十二夜 山田みづえの「氷」の句

  悪女たらむ氷ことごとく割り歩む 『忘』
 
 鑑賞をしてみよう。
 
 掲句は山田みづえの代表句である。この作品を句会に出したとき師の波郷一人が採ってくれたという。自分を「悪女たらむ」と詠んでいる。戦争中に結婚し、二児が生まれ、夫婦仲が悪くなり、子を置いたまま婚家を出ることになる。〈雪卍うたてや子らを置き去るか〉の作品の、「卍」も「うたてや」も最高潮に昂ぶった状態を「雪」の降り方で表しているが、離婚することになる状況を詠んだものであろう。悪女とならねば出来ない思い切った行動であった。この後、何年経ようとも子を忘れることはできないまま一人で生きる覚悟をした山田みづえの生き方の根本となる。

 山田みづえは、父が国語学者であったこともあって、七夕の短冊も日記にも、大学時代も日常的に短歌があったという。結婚後も生きるためのバランスをとるように字余りの俳句のようなものを書いていた。
 山田みづえは『忘』のあとがきにこう書いた。
「俗に言う悲劇らしき事態の中で、私のうたがちぎれ飛び、ハタと俳句の形を為したまでである。」
 石田波郷の序文はこうである。
「この句を契機として著者は自他ともに悪女と称するようになつたやうだが、世上の女の幸福を放棄した著者がひとりで生きてゆくには、自らを支へてゆく生き方がなければならぬが、その一つの姿勢が悪女の語に象徴されてをり、同時にこれが著者の俳句の姿勢でもあった。」

 山田みづえ(やまだ・みずえ)は、昭和元年(1926)―平成二十五年(2013)宮城県仙台市生まれ。父は国語学者・山田孝雄。二十九歳のとき二児を婚家に残して離婚。昭和三十二年、石田波郷の「鶴」入会、波郷の最晩年の弟子となる。〈流星を見しより私だけの部屋〉を含む三十句により「風切努力賞」を受賞。波郷門に入って十三年目に師の逝去。昭和五十年に句集『木語』刊行、翌年、俳人協会賞受賞。昭和五十四年に俳誌「木語」を創刊主宰。

 「木語」を結社名としたほどに樹木の好きな作者が、木に棲む木魂が翼を得た形の鳥、樹木の先住者の「鳥」に敬意を評して編んだという句集『天音―鳥のうた』から作品を紹介してみよう。
 
  つばめ追ふこころの少しづつ狂ふ 『忘』
  たのしくなれば女も走るみそさざい 『忘』
  山眠るまばゆき鳥を放ちては 『木語』
  道に出て人のごとくに初鴉  『手甲』
  葭切が言ふ湖は老いたり疲れたり 『草譜』